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田山花袋記念館-KとT展について

文学に立ち返って色々と旅して回ることが多くなったので見聞録的に記念館のお話をまとめるためにカテゴリ独立させました。以後文学関連の話題で長くまとまった話はここでします。
ここでは調べたことやら文学について感じたことやら、分からないことのまとめとして利用するので必然的にマニアックな話題が多くなりますが、面白がってるんだなと思っていただけると幸いです。
文学のカテゴリとしては、島崎藤村を贔屓気味に最近ハマった自然主義文学周辺についてとなります。
まとまりのない話については逐次Twitterで呟きます。(多分頻度はそっちのほうが高い)


さて第一回は田山花袋記念館企画展示-開館三十周年記念特別展 KとT展についてです。



(いきなり贔屓の藤村ではなくて花袋なの?と思われるかもしれませんが、当方、実は花袋の記念館が一番近くて訪れやすいのです。悪しからず。。)


田山花袋記念館は群馬県館林市にある文学記念館は月に一度、第一日曜日に無料開放され、このタイミングで14:00から30分程度解説会を行っています。
解説員の方曰く、通常はマンツーマンのレベルでの解説だそうですが、本日はなんと約20人もの来訪者がいる盛況ぶり。事前にSNSでの拡散やこれまでのお客さんの口コミ効果もあるのか、集まったお客さんを前に解説員のお姉さんも驚いておりました。これだけの大人数は初めてなので、少し緊張していたとか(笑)
(参考までに五月に私が記念館を訪れたときは館内には本当に私一人しかいませんでした。私も今回の盛況ぶりには大変驚き。若者とネットの力ってすごい)


写真では見づらくなってしまいましたが、LINE風の文章で広告には独歩と花袋の会話が書かれています。

田山花袋「やあ、国木田君。どうやら今度、僕たち二人の友情にフィーチャーした特別展が開催されるようじゃないか。」
国木田独歩「えっ、本当かい? 僕らは最近ゲームやマンガでも何かと話題になっているからね。」
田山花袋「僕たちの出会いや、君が書いたゲームに登場する手紙も紹介されるんだ。」
    「君のお信さんへの熱烈なラブレターも公開されるみたいだぞ。」
国木田独歩「なんだって!そりゃ大変だ!」
田山花袋「10月21日(土)から12月3日(日)までの開催だよ」

なんともコミカルな会話ですね。(笑)

30分しかないので今回は企画展の方の説明が主です。特に解説は、独歩の人生から始まり、花袋と出会うまで、そしてその死後、花袋が仲間を集めて全集を編纂して印税を遺族に届けるまでの流れでした。

〇企画展の見どころ
独歩の出生については諸説あるそうですが、花袋記念館の解説では現在定説である国木田専八氏の実子であった説を採用しています。
解説を聞いていて、いくつか目を引いたところ、印象に残ったところを中心に、補遺としてデジタルコレクションの参照を記載します。


・『愛弟通信』による躍進
明治27年10月、日清戦争の従軍記者として戦地に派遣された独歩は、戦況を弟の収二に向けてその様子を伝える体の文体で、『愛弟通信』にその様子を書き記します。
身内に向けた体の描写は臨場感がたっぷりで、これにより国木田哲夫の名は一躍世に広まりました。『愛弟通信』は、明治27年~28年に「国民新聞」にて連載され、独歩没後明治41年に刊行されることになります。
通常は県立神奈川近代文学館に所蔵されていますが、本企画展で見ることができました。赤い表紙に金の箔押し文字が装飾されている装丁です。
なお『愛弟通信』本文は以下、国立国会図書館のデジタルコレクションで閲覧が可能です。
愛弟通信


・信子との悲恋
田山花袋『東京の三十年』にもしばしば「お信さん」として大失恋を経験した相手として現れる独歩の最初の妻、佐々城信子。日本基督教矯風会の幹部の夫妻の長女として生まれた彼女は、夫妻が主催する晩餐会で独歩に出会います。
「令嬢の年のころ十六若しくは七、唱歌をよくし風姿素々可憐の少女なり」というのが独歩の信子に対する第一印象で、その心躍る恋心が、独歩の『欺かざるの記』という書に記されています。

『欺かざるの記』についても、デジタルコレクションで閲覧が可能です。
欺かざるの記
これは全文500P超となる大ボリューム。その分独歩の私生活を垣間見ることができるということでしょうか。

当時、女性は人前で唱歌を唄うことはあまりしなかった為、この堂々たる姿が独歩の印象に残ったようです。以降二人は互いに惹かれあっていきますが、これに対して夫妻は猛反対。それでありながらも恋の進展を止めることはできず、信子は佐々木家から勘当されるという厳しい条件のもと、独歩と結婚します。
結婚に至る前、独歩は単身北海道で信子を待ちますが、あまりにも彼女が自分のもとに来るのが遅いために、何度も手紙を送っていました。その時の直筆手紙が何通か本展示で掲載されていました。本文の中でその熱烈ぶりが分かるのが、直筆で展示されていた以下の3通。

①明治二十八年 九月十八日 国木田独歩書簡(佐々城信子宛)
②同      九月二十三日
③同      十月三日

①は室蘭に到着し、道中もあなたと離れることは苦しかった、早く来てくれ、という趣旨の手紙。
②は早く結婚して北海道で一緒に生活したい、という旨を記した手紙。
③はあまりにも信子が自分の所に来ないので、絶望してしまった、という趣旨の手紙。

②もものすごい密度の文章なのですが、特に面白いのが③で、これは他の展示資料の独歩書簡に見られないほどの取り乱している様子がうかがえます。

「果たして絶望は来りぬ。よし、然らば絶望を受けん。誓ひし愛の言の葉、凡て致れよ。
御身は余を背き去る也。
余を捨て去る也。
余は信ずと称す。されど余を信ぜざる也。(中略)
去らば。去りし者は追はず。否、哀哉、追ふ能はず。
森!涙!凡て夢なりしか。されど恨みもせじ。余は愚者なれば也。
虚栄は満ちぬ!
見よ/\/\
余は志ば/\言へり。ブロークンハートと。果たして然り。
(後略)」

完全に自分が捨てられたと思い込んだ男の人の心境です。(笑) !が多いこともさることながら、「私はあなたを信じていたのにあなたは私を捨てるのですね!」と書いてしまうあたり、よほど愛していたことが分かります。
独歩の字は前後の文字ときちんと離れているので比較的読みやすいのですが、この文の「ブロークンハートと。」というのが現代人にもしっかり読み取れるくらいに書いてあるので面白いです。
結婚直前はこんな様子ですが、付き合っている間は当時夫婦同士でもめったに手をつないで歩くことがなかったところを歩いたり、抱擁やら接吻やらという言葉が飛び交う熱々っぷりであったようです。

さて、結婚後の独歩との日々は、基督教の習慣に従った窮乏生活でした。独歩にとっては生活習慣でも裕福に育った信子はこれに耐えかねて、失踪してしまいます。そして半年足らずで離婚となってしまうのでした。

・花袋との出会いと友情
花袋との出会いについては、『東京の三十年』の「丘の上の家」で触れられている通り、この離婚騒動があった後、弟収二とともに渋谷の家で暮らし始めてからとなります。
二人は文学を愛好する心を同じくして出会った当初からあたかも旧知のように意気投合し、文学活動に精を出すようになるのでした。二人は特に流行していた西洋文学について、熱く語り合う仲となりました。
独歩は『源おじ』で小説家としての地位を確立してから、先の『欺かざるの記』の執筆を止めます。もう必要なくなったからとのことでした。
独歩は明治31年に榎本治子と再婚を果たします。翌年、花袋も太田玉茗の妹・里さと結婚し、博文館へ入社します。花袋の結婚にあたっては、独歩と柳田国男が協力し、彼の婚姻届けの証人となりました。(この時の証書も展示品にありました)

二人は小説家だけで身を立てられるようになるまでに編集者として働きますが、独歩が元々編集が好きであり引き続き『近事画報』でも編集を続けていた一方、花袋は受け持っていた博文館での編集の仕事が好きになれず、小説家一筋となって活動し始めました。

・独歩の晩年とその後
当時珍しかった絵や写真を用いた表現で大成功を収めた『近事画法』でしたが、その後終戦とともに『近事画法』の売り上げが徐々に落ちたことで経営が悪化。独歩は社の権利を譲り受けることになりました。新たに独歩社を設立しますが、経営状況の立て直しは叶わず、わずか10カ月で破綻してしまいます。
多忙と心身の疲労によって彼は当時の死病であった肺病を患い、東洋一のサナトリウム南湖院に入院。夫人をはじめ多くの人が見舞いにやってきました。『生』の執筆中であった花袋もその一人でした。花袋と小栗風葉を中心として編纂された『二十八人集』は、こうした独歩の窮地を救うために編纂された雑誌でまさしく彼らの友情の証でした。
明治41年6月、独歩は四度目の喀血によって絶命しますが、生前は「自分の死後も花袋がいれば家族は安心だ」と語っていたとのことで、その言葉通り花袋は彼の死後も多くの作品を世に出しました。折に触れて彼の死後も、度々花袋は独歩のことを評論や随筆に書いています。これはまさに二人の友情の表れと言えるでしょう。

・独歩&花袋の女性同士意外な関係
今回の企画展関連として『蒲団』のモデルである岡田美智代女史と独歩の前妻の佐々木信子氏が実は同じ女学院に3ヶ月だけ在籍していた、と紹介されておりました。
『蒲団』のモデル岡田美智代女史は2015年頃から女流作家としての再評価が進んでいるとの記事も館内にあり、彼女の新情報は今後も出てきそうです。

〇裏話その他

以下は今回のお土産です。



右端にあるのが今回の企画展示資料。一冊200円、20Pの冊子になります。
企画展資料については、ここに大体すべて書かれているのでファンは必見。恐らく開催期間が終了してまだ資料が余っている場合は、通販で取り寄せが可能となるのでご興味がある方は取り寄せてみてはいかがでしょうか。

特に独歩についての生涯のまとめ、独歩と花袋の生涯対比表は大変便利です。
左端奥にあるのが、今回の企画展で展示されていた独歩の手紙の翻刻資料です。
手紙の翻刻が読みたいというお客さんのために展示資料に対応する番号を振った状態で記念館の方がご用意してくれました。大変ありがたい限りです。

そして中央にあるものですが。




記念館お手製、花袋君シールです。(笑)

全3種類で、こちらは蒲団バージョン。ミノムシゆるキャラ花袋君です。とても愛嬌がありますね。こちらは記念館の受付でお声かけすると一人一枚頂けるもののようです。

先月、私は香川県高松市にある菊池寛記念館も訪れたのですが、その時もこんな感じのゆるキャラシールがありました。ネットでの噂を聞く限りだと、中原中也記念館も同じようにゆるキャラになっているようで、文豪のゆるキャラ化もいつのころからか流行しているようです。にしても和みますねこれ。途端に親しみやすくなります(笑)

10/28の群馬県民の日には「花袋君と写真が撮れるコーナー」という企画も催されていたようですが、そちらは何とこのゆるキャラではなく、コスプレしたリアルな花袋君が現れたようです。びっくり。

ちなみに今回の企画展のメインビジュアルにある花袋の写真ですが、これは独歩に合わせて一生懸命イケメンの花袋を探した、というわけではなく、単純に年齢を独歩に合わせたかったのだと、解説員の方がおっしゃっていました。
確かによく知る花袋の年齢は中年過ぎなので、独歩の年とは離れますものね。。

企画展に行くとまた本が読みたくなります。お土産を暫く堪能しようと思います。
ありがとうございました。

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