本日、11/3は文化の日。
今年は田山花袋生誕150周年ということで、花袋記念館さんでも関連文豪との特別講座が設けられました。
記念館の公開情報は
こちら記念館のTwitterで情報を得るなり一藤村ファンである私も喜び勇んで参加してまいりました。今や藤村の講座はゆかりの地である長野県小諸市以外ではなかなか開催されませんからね…花袋記念館で実施されるなんて凄く貴重です。ありがとう、生誕150周年…!
そんなわけで開催日である本日、花袋記念館の真向かい・旧上毛モリソン事務所にお邪魔しました。
【講師紹介】今回解説してくださったのは宇田川昭子先生。
宇田川先生は花袋学会、藤村学会両方に所属し藤村と花袋の研究にお詳しい方で、花袋の弟子・白石実三の実家に足を運んだこともあるそう。
始めに研究していたのは花袋だそうですが、関連性から藤村も学ぶようになったということで、それを聞いて藤村ファンである私も期待が上がるのでした。
講座中に仰っていたのが、藤村学会と花袋学会に入っているとそれぞれの学会のカラーなども分かるらしく、藤村学会の方では解散時に藤村詩の歌を歌うことがあって驚いた、とのこと。花袋の方も詩作はしているものの藤村ほど童謡に詩が用いられているわけではないので、花袋も詩が歌として有名になればもっと魅力が伝わるのにな、と仰っておられました。
【配布資料】配られた資料は全部で3つあり、
①書簡本文の写真
こちらは何とフルカラーコピー(!)
資料は以下の5点
1.明治34年1月6日付 藤村→花袋ハガキ 表裏
2.明治35年4月20日付 藤村→花袋ハガキ 表裏
3.明治36年11月19日付 藤村→花袋ハガキ 表裏
4.明治34年12月30日付 藤村→花袋封書筒 表裏
5.明治34年12月30日付 藤村→花袋封書本文
②書簡の訳文
①の訳文。①の内容を訳したものに加え、記念館未収蔵の資料の以下訳文を記載
6.明治34年10月26日付 藤村→花袋書簡
この資料は全集17巻より訳文を引用したとのこと。
③解説レジメ
書簡の解説ポイントがまとめられたレジメ
基本的に①②の資料のうち現代人になじみが薄い語彙や作品名・作者名の解説などが補足された説明資料
でした。
①や②の内容に関しては割と私も見覚えがあるものでしたので、恐らく全集17巻の書簡の巻にどれも内容自体は載せられているかと思います。全集持っている方は確認して見ると良いかも。
お話を伺って印象に残った点やポイントなどを整理してみます。概要だけをさらっと紹介。
【藤村・花袋と外国文学】今回の講座の中心である藤村と花袋をつないだ外国文学。
明治30年代の藤村は長野県小諸市の小諸義塾に英語教師として赴任していた都合で、欲しい洋書を当時東京住まいの花袋に送ってもらうという方法で入手していました。
ものが流通している現代においても山村地域では欲しい本が手に入らないこともあるようですが、明治30年代時期ともなるとその不便さは一層で、藤村も②6.の手紙に「御話にもならぬほどの不便なる山家」などと表現しているほど。
②2.の書簡に記載されているのが今回の解説対象である海外作品や作家たちで、その内訳は以下の通りとなっています。
・『アルネ』…ノルウェー作家/ビョルソン作の小説
→藤村の山村に対する価値観を変化させた一作
・『猟夫日記』…ロシア作家/ツルゲーネフ作の小説
→藤村が「旅に慰めに携へた」いと評価する作品。
本は前後編に分かれており、後編に二葉亭四迷が訳したことで有名な『あひびき』が収録されている。この時に藤村が借りたのは前編と思われる(?)
・『寂しき人々』…ドイツ作家/ハウプトマン作の戯曲。書簡中の「フォルケルト」「キチィ」はこの作品の登場人物。
→藤村『水彩画家』、花袋『蒲団』に影響(※)
藤村と花袋はこれらの大陸文学(露仏独スカンジナビア等、ユーラシア大陸由来の文学)を英語で読み、その感想をやりとりする書簡が数多く残っているようで、今回取り揃えられた書簡もそのうちのいくつかであるとのこと。
英語については藤村がキリスト教系の学院で教育されている間に学習したと思われる一方、花袋は上野の図書館や麹町の私塾等で独学で学んだらしいです。
花袋は最終学歴がいわゆる小学校卒で止まっている稀有な文豪ですが、そんな彼でも独学でこれらの文学を親しみ文壇の一角を担う存在になったのは凄いこと。
【余談】『苦役列車』で芥川賞を受賞した西村賢太氏は実は田山花袋好きだそうなのですが、その理由の一つが、西村氏が愛読している作家・藤澤清造(『根津権現裏』の作者)が褒めていた作家であること、もう一つが小学校卒でありながらあれだけ世に名の知れた存在になったという点が挙げられたそうです。
花袋の文学や生き方に励まされた人がここにも…と少し感慨深くなりました。
(※)ちなみにハウプトマンの『寂しき人々』に関しては藤村も花袋も多大な影響を受け、花袋はその影響が『蒲団』に現れたと世の人々から後に指摘を受けたりなどもしたそう。
最初本人はそれを否定していましたが、次第に世の中の指摘に沿うように意見を変えて、後々『東京の三十年』で『蒲団』について「私のアンナ・マールを書こうと決心した」と書くまでになりました。
この花袋の意見の変遷については、先生も注意深く見る必要があると指摘をしており、今後は花袋の意見変遷からの研究もされていく必要があるだろうと仰っていました。
【『破戒』と『罪と罰』】②3.のはがきには、藤村が花袋からドストエフスキー『罪と罰』を借りた旨が書かれています。
『破戒』が『罪と罰』の影響を受けたのではと指摘する論者は多いですが、藤村は直接読んだ作品の影響を花袋ほど書き遺す人ではなかったらしく、本人が具体的に言及した文章などはない模様。しかしこの書簡を見ると、藤村が『罪と罰』に関心を寄せていたことは確かで、『破戒』と『罪と罰』の構図に一部似通ったところもあることから、少なからず影響はあっただろうとする見方が多いようです。
【花袋弟子が語る交友】
最後に藤村と花袋について、花袋の弟子である白石実三氏が昭和9年9月「新潮」に「藤村と花袋と」で以下のように語っていることを引用して〆となりました。
「『さうさ、僕の島崎君への感化なぞはあるまい』花袋氏は言つた。『もしありとすれば、書だけはいくらか貸したかね、それが戦友として一緒に自然主義を興した動機になつたともいへばいへるね」
【受講感想】まず書簡の資料が全員分(おそらく30人前後かと思いますが)カラーコピーで配布されたのには驚きましたね。そのおかげでよく藤村の字を手元で眺めることができたのがありがたかったです。書簡の字は原稿の字よりも少し走り書き感があるのが少し味わい深い。
自分はあまり海外文学に明るくなかったため、藤村や花袋の書簡や随筆等で作品名が出て来てもそこまでピンとこなかった点が多かったのですが、今回の講座を受講してみてこの書簡で出てくるものくらいは読んでみてもいいなと思うようになりました。
山村に暮らしていた藤村がわざわざ取り寄せてまで読みたいと思った洋書がどんな内容だったのか、また、藤村の作品にどのように影響するのか等は、当時の藤村の読んだものを咀嚼したうえで考えるとまた新たな視点で作品を鑑賞する楽しみが出来るような気がします。
最低限藤村・花袋ともに影響を与えたとされるハウプトマンの『寂しき人々』は読みたいなと思うと同時に、花袋にも手を伸ばすなら弟子の白石実三氏が書いた文章にも目を通してみたいなと思った次第でした。
久々に良質な講座を受講出来て楽しかったです。
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