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こんばんは。Twitterでお世話になっております、かげしゅらです。岩尾さんに是非ともお聞きしたい事を纏めてみましたので、お時間のある時にお目通しいただけたら幸いです。
・『海外文学・江戸以前の文学と、現代文学は対象外です。
(人伝に聞いている限りだと江戸以前は下記の内容に加えて翻刻(=くずし字を解読する過程)が入り、海外文学だと翻訳が入るイメージがあります。』
→これは、研究対象になる現代文学というのは、何の過程もなく読める作品ということなのでしょうか?
・『これは研究を始めてしまうと知識にかぶれて忘れがちになるものですので、作品を読んだらなるべく早めに書き留めておくのが良いと思われます。』
→個人的な質問なのですが、太宰治の作品を読むより先に彼と親交のあった方々の自叙伝やエッセイを読んでしまって、知識にかぶれていると申しますか…、彼の作品外での諸々を知ってから作品に手を付けておりまして。研究などと畏れ多いことはしておりませんが、彼や作品について考察をする場合でも普遍性を頭に置いた方が、考察には良いことなのでしょうか?
・作品情報を調査する手順にて、岩尾さんが例に挙げておりました『新聞小説と同人誌にまとめた内容の寄稿とには違いがあるもので、どこが初出で、その後何回改稿されたか』ということがあることに興味が湧きまして、その違いを是非見られたらいいなと思い、一般人でも調査することが出来るのだろうかと疑問に思いました。それとも大学の研究だから出来ることなのでしょうか?
・『語彙調査で意味の分からない小道具も調べるといい』とあるのですが、これは文脈の中でこの場所にどうして使われているか意味の分からない小道具のことでしょうか?それとも使用用途が意味の分からない小道具のことでしょうか?
・語りの切口とはどういった物でしょうか…?あと論調については実際に論文に触れて実感した方がよいでしょうか?
・『多くの論文は、作者自身の体験から影響を受けたという内容で研究をしているものが多く、特に発表当時と時代が近いものほどその風潮があります。』
→この発表当時と時代が近いものほど、というのは論文の発表当時と作品の時代でよろしいでしょうか?
・芋づる式で得られる情報は最後の芋が土から出て来るまで探し求め続けていくのですか?それだと際限ないのでは、と思ってしまい…。
・考察や研究をする場合は、作品を物語として読むのを一旦止めて、一文一文を注意深く噛み締めていくように読み進めていく感じなのでしょうか?
・岩尾さんがやってらした研究で、重点に置いていた作品の各論と作品内での仕掛けを検証とはどのような意味のことなのでしょうか?
以上でございます!
>こんばんは。Twitterでお世話になっております、かげしゅらです。岩尾さんに是非ともお聞きしたい事を纏めてみましたので、お時間のある時にお目通しいただけたら幸いです。
>
かげしゅらさん、こんばんは。ご質問ありがとうございます。
Twitterでのやりとりのとおり、拙いながら答えやすいものから順次回答させていただきます。
>・『海外文学・江戸以前の文学と、現代文学は対象外です。
>(人伝に聞いている限りだと江戸以前は下記の内容に加えて翻刻(=くずし字を解読する過程)が入り、海外文学だと翻訳が入るイメージがあります。』
>→これは、研究対象になる現代文学というのは、何の過程もなく読める作品ということなのでしょうか?
少し表現がわかりにくかったかもしれませんが、これは「このブログの以下記述で語るのは近代文学ですよ」という定義だと思ってください。
文学研究と言っても、時代や国や言語の違いで、研究の仕方が異なります。
このブログで語る「文学研究」は、大正・明治の内容なので、ほかの時代や国の話はこの方法とは異なります、ということですね。
>・『これは研究を始めてしまうと知識にかぶれて忘れがちになるものですので、作品を読んだらなるべく早めに書き留めておくのが良いと思われます。』
>→個人的な質問なのですが、太宰治の作品を読むより先に彼と親交のあった方々の自叙伝やエッセイを読んでしまって、知識にかぶれていると申しますか…、彼の作品外での諸々を知ってから作品に手を付けておりまして。研究などと畏れ多いことはしておりませんが、彼や作品について考察をする場合でも普遍性を頭に置いた方が、考察には良いことなのでしょうか?
「普遍性」というのが少し堅かったかもしれませんが、この部分は要するに”読んで感じた率直な感想を大事に”という意味です。
勿論、太宰の人生を知っていれば彼の人生観からなぜこの作品が生まれたのか、という作家論的な視点から作品を語ることができますし、それも一つの研究の形かと思います。
逆に何の前提知識がなくても作品を読んでて率直に感じたところを足掛かりにして、作家を調べることで、なぜその作品についてそのような表現が生まれたのかを論じることができるでしょう。
なので良いか悪いかは考察の内容にもよると思います。私の知っている文学研究の形が、テクストと作者が別物であるという教えの元の内容でしたのでこのように書きましたが、世の中に流通する作品解説は作者の人生から作品の書き方を語る論も多くあります。しかし文学の研究である以上は、作者に寄りすぎず、ある程度作品そのものに重きを置くとそれらしくなると思います。作者そのものの研究は、どちらかというと文壇の研究や歴史人物の研究に近い気がします。(この辺は詳しくないので何とも言い難いのですが;)
>・『語彙調査で意味の分からない小道具も調べるといい』とあるのですが、これは文脈の中でこの場所にどうして使われているか意味の分からない小道具のことでしょうか?それとも使用用途が意味の分からない小道具のことでしょうか?
こちらは単純に、言葉の意味が理解できない語彙、という意味です。辞書的な意味ですね。
「文脈の中でどうしてこの場所に使われているのかわからない」というのは考察の中の話になりますので、語彙調査のときは一旦ご放念ください。
>・語りの切口とはどういった物でしょうか…?あと論調については実際に論文に触れて実感した方がよいでしょうか?
これはまさにその通りで、論調や切り口は実際の論文に触れていただくのが一番かと思います。切り口と言っても研究者によって千差万別ですので、色んな論文を見て「へ~」と楽しんでみてください。おすすめは自分の興味ある作家や作品についての論文です。
>・『多くの論文は、作者自身の体験から影響を受けたという内容で研究をしているものが多く、特に発表当時と時代が近いものほどその風潮があります。』
>→この発表当時と時代が近いものほど、というのは論文の発表当時と作品の時代でよろしいでしょうか?
ご認識の通りです。下手すると名だたる文豪と実際に会っている年代の人が論文の作者だったりします。(笑)まあそこまで来ると論文というより当時の評論なのですが、そういうのもほぼ最古の資料として資料・参考文献として使ったりしました。
分かりやすいのだと伊藤整とか小林秀雄とかですかね…そりゃあ実際に作者に会ってたらその立場から作品を語るようにもなるだろう、という感じです。
>・芋づる式で得られる情報は最後の芋が土から出て来るまで探し求め続けていくのですか?それだと際限ないのでは、と思ってしまい…。
御尤もなご質問です。
これは自分の論旨に合う内容に関係あるところまでで良いと思います。もしくは、どうしてもその作品に関連する論文が一つや二つしか見つからなかった場合などの情報収集の手段の一つとしてですね。(=先行研究が少なすぎる、というパターンです)
掘りすぎて困ることはないですが、論旨に関連しない情報は載せておいても混乱すると思うので参考程度にとどめるくらいの認識でよいと思います。
>・考察や研究をする場合は、作品を物語として読むのを一旦止めて、一文一文を注意深く噛み締めていくように読み進めていく感じなのでしょうか?
どちらかというといったん全文をばーっと読んで、気になったところを再度振り返って一文一文噛みしめる感じです。小説全体から伏線を見出す感じでしょうか。
読んでる間に忘れることがほとんどなので、私は気になったところに都度線を引いたり付箋を貼ったりしてあとから振り返られるようにしていました。
残り3つのご質問については具体的な例があったほうが分かりやすいと思いますので、
資料を見つけ次第お返事させていただきます。
かげしゅらさん
だいぶ時間が空いてしまって申し訳ありません。
残りの3つのご質問にお答えいたします
・作品情報を調査する手順にて、岩尾さんが例に挙げておりました『新聞小説と同人誌にまとめた内容の寄稿とには違いがあるもので、どこが初出で、その後何回改稿されたか』ということがあることに興味が湧きまして、その違いを是非見られたらいいなと思い、一般人でも調査することが出来るのだろうかと疑問に思いました。それとも大学の研究だから出来ることなのでしょうか?
→これについては論文を漁っていると冒頭に出てくることもあるのでそこからヒントを得ていました。
分かりやすい例で言いますと、先日 文アル読書会02に取り上げられていた『雛』で偶然行き当たりましたので取り上げてみます。
(参考:https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16071/1/bungakubuhappyo_2011_2_%281%29.pdf)
上記論文の「はじめに」に記載されおります内容が書誌情報です。
この情報を見ると、『雛』は単行本『黄雀風』に取り上げられたのが最初のようですが、旧稿に『明治』という作品があるようです。
調べたところ、『明治』は、岩波文庫の芥川龍之介全集8に収録されており、おそらく今でもこの全集を探せば旧稿と『雛』の相違点は比較可能です。
なので大学に所属せずとも色々と調べている間に、このような情報に行きつき調べることが可能かと思います。
(自分はちょっと図書館に行ける時間がなくてこの旧稿を見ていないのですが、面白そうなので是非調べてみてください。)
・語りの切口とはどういった物でしょうか…?
→読んでいて分かりやすいものを見つけましたので以下をご参照ください。
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/00015006
谷崎潤一郎「美食倶楽部」に関する論文です。
この論文では文章の推量表現などに着目して、作品の語り手がどのレイヤーに存在しているのかなどを論じています。
単純に登場人物間で完結するのではなく、登場人物→読者を意識させるような構造、あるいは作者→読者を意識させるような構造を意図的に取っている手法が「語りの切り口」です。
私が参加していた講義でよく取り扱っていた谷崎の文章は、作者・登場人物の一人称、登場人物たちの視点という語りの構造がよく話題になっていました。(最近の研究の流行なのでしょうかね…?)
こういう議論はおそらく谷崎が上記の『美食倶楽部』の他にも様々な作品で用いていた手法なので出てきた内容かと思います。講義中にはあの『痴人の愛』でも同様の議論が出てきました。
・岩尾さんがやってらした研究で、重点に置いていた作品の各論と作品内での仕掛けを検証とはどのような意味のことなのでしょうか?
→昔自分が書いたレポートを改めて漁ってみたいのですが、ちょっと拙すぎて公開する勇気がないので(笑)ざっくりと以下に内容を示します。
作品の各論、で私が展開してみたのは泉鏡花の『婦系図』です。
この話、前半部分には様々な動物が比喩表現・直接的な表現として出てきます。その動物たちについて、どのくらいの割合で何が出てくるのかを調べてグラフにして、特に登場回数、頻度が多かった動物が、どの登場人物の比喩に当たるのかを考えてまとめたことがありました。
別の議論では、同じ『婦系図』で、教授が、登場人物の身分の差と人物のいる場所が関係しているのではとも指摘していたこともありました。(身分の高い人物が二階に、低い人物が一階にいるなどという点に関してです)
「作品の各論と作品内での仕掛けの考証」というのは、こういった人物の描写の方法や、立ち位置、その人物のもつ特徴が作中にどのように表れているのかを事細かに検証していく内容になります。
以上になります。改めて、ご質問ありがとうございました。
こんばんは。Twitterでお世話になっております、かげしゅらです。岩尾さんに是非ともお聞きしたい事を纏めてみましたので、お時間のある時にお目通しいただけたら幸いです。
・『海外文学・江戸以前の文学と、現代文学は対象外です。
(人伝に聞いている限りだと江戸以前は下記の内容に加えて翻刻(=くずし字を解読する過程)が入り、海外文学だと翻訳が入るイメージがあります。』
→これは、研究対象になる現代文学というのは、何の過程もなく読める作品ということなのでしょうか?
・『これは研究を始めてしまうと知識にかぶれて忘れがちになるものですので、作品を読んだらなるべく早めに書き留めておくのが良いと思われます。』
→個人的な質問なのですが、太宰治の作品を読むより先に彼と親交のあった方々の自叙伝やエッセイを読んでしまって、知識にかぶれていると申しますか…、彼の作品外での諸々を知ってから作品に手を付けておりまして。研究などと畏れ多いことはしておりませんが、彼や作品について考察をする場合でも普遍性を頭に置いた方が、考察には良いことなのでしょうか?
・作品情報を調査する手順にて、岩尾さんが例に挙げておりました『新聞小説と同人誌にまとめた内容の寄稿とには違いがあるもので、どこが初出で、その後何回改稿されたか』ということがあることに興味が湧きまして、その違いを是非見られたらいいなと思い、一般人でも調査することが出来るのだろうかと疑問に思いました。それとも大学の研究だから出来ることなのでしょうか?
・『語彙調査で意味の分からない小道具も調べるといい』とあるのですが、これは文脈の中でこの場所にどうして使われているか意味の分からない小道具のことでしょうか?それとも使用用途が意味の分からない小道具のことでしょうか?
・語りの切口とはどういった物でしょうか…?あと論調については実際に論文に触れて実感した方がよいでしょうか?
・『多くの論文は、作者自身の体験から影響を受けたという内容で研究をしているものが多く、特に発表当時と時代が近いものほどその風潮があります。』
→この発表当時と時代が近いものほど、というのは論文の発表当時と作品の時代でよろしいでしょうか?
・芋づる式で得られる情報は最後の芋が土から出て来るまで探し求め続けていくのですか?それだと際限ないのでは、と思ってしまい…。
・考察や研究をする場合は、作品を物語として読むのを一旦止めて、一文一文を注意深く噛み締めていくように読み進めていく感じなのでしょうか?
・岩尾さんがやってらした研究で、重点に置いていた作品の各論と作品内での仕掛けを検証とはどのような意味のことなのでしょうか?
以上でございます!
>こんばんは。Twitterでお世話になっております、かげしゅらです。岩尾さんに是非ともお聞きしたい事を纏めてみましたので、お時間のある時にお目通しいただけたら幸いです。
>
かげしゅらさん、こんばんは。ご質問ありがとうございます。
Twitterでのやりとりのとおり、拙いながら答えやすいものから順次回答させていただきます。
>・『海外文学・江戸以前の文学と、現代文学は対象外です。
>(人伝に聞いている限りだと江戸以前は下記の内容に加えて翻刻(=くずし字を解読する過程)が入り、海外文学だと翻訳が入るイメージがあります。』
>→これは、研究対象になる現代文学というのは、何の過程もなく読める作品ということなのでしょうか?
少し表現がわかりにくかったかもしれませんが、これは「このブログの以下記述で語るのは近代文学ですよ」という定義だと思ってください。
文学研究と言っても、時代や国や言語の違いで、研究の仕方が異なります。
このブログで語る「文学研究」は、大正・明治の内容なので、ほかの時代や国の話はこの方法とは異なります、ということですね。
>・『これは研究を始めてしまうと知識にかぶれて忘れがちになるものですので、作品を読んだらなるべく早めに書き留めておくのが良いと思われます。』
>→個人的な質問なのですが、太宰治の作品を読むより先に彼と親交のあった方々の自叙伝やエッセイを読んでしまって、知識にかぶれていると申しますか…、彼の作品外での諸々を知ってから作品に手を付けておりまして。研究などと畏れ多いことはしておりませんが、彼や作品について考察をする場合でも普遍性を頭に置いた方が、考察には良いことなのでしょうか?
「普遍性」というのが少し堅かったかもしれませんが、この部分は要するに”読んで感じた率直な感想を大事に”という意味です。
勿論、太宰の人生を知っていれば彼の人生観からなぜこの作品が生まれたのか、という作家論的な視点から作品を語ることができますし、それも一つの研究の形かと思います。
逆に何の前提知識がなくても作品を読んでて率直に感じたところを足掛かりにして、作家を調べることで、なぜその作品についてそのような表現が生まれたのかを論じることができるでしょう。
なので良いか悪いかは考察の内容にもよると思います。私の知っている文学研究の形が、テクストと作者が別物であるという教えの元の内容でしたのでこのように書きましたが、世の中に流通する作品解説は作者の人生から作品の書き方を語る論も多くあります。しかし文学の研究である以上は、作者に寄りすぎず、ある程度作品そのものに重きを置くとそれらしくなると思います。作者そのものの研究は、どちらかというと文壇の研究や歴史人物の研究に近い気がします。(この辺は詳しくないので何とも言い難いのですが;)
>・『語彙調査で意味の分からない小道具も調べるといい』とあるのですが、これは文脈の中でこの場所にどうして使われているか意味の分からない小道具のことでしょうか?それとも使用用途が意味の分からない小道具のことでしょうか?
こちらは単純に、言葉の意味が理解できない語彙、という意味です。辞書的な意味ですね。
「文脈の中でどうしてこの場所に使われているのかわからない」というのは考察の中の話になりますので、語彙調査のときは一旦ご放念ください。
>・語りの切口とはどういった物でしょうか…?あと論調については実際に論文に触れて実感した方がよいでしょうか?
これはまさにその通りで、論調や切り口は実際の論文に触れていただくのが一番かと思います。切り口と言っても研究者によって千差万別ですので、色んな論文を見て「へ~」と楽しんでみてください。おすすめは自分の興味ある作家や作品についての論文です。
>・『多くの論文は、作者自身の体験から影響を受けたという内容で研究をしているものが多く、特に発表当時と時代が近いものほどその風潮があります。』
>→この発表当時と時代が近いものほど、というのは論文の発表当時と作品の時代でよろしいでしょうか?
ご認識の通りです。下手すると名だたる文豪と実際に会っている年代の人が論文の作者だったりします。(笑)まあそこまで来ると論文というより当時の評論なのですが、そういうのもほぼ最古の資料として資料・参考文献として使ったりしました。
分かりやすいのだと伊藤整とか小林秀雄とかですかね…そりゃあ実際に作者に会ってたらその立場から作品を語るようにもなるだろう、という感じです。
>・芋づる式で得られる情報は最後の芋が土から出て来るまで探し求め続けていくのですか?それだと際限ないのでは、と思ってしまい…。
御尤もなご質問です。
これは自分の論旨に合う内容に関係あるところまでで良いと思います。もしくは、どうしてもその作品に関連する論文が一つや二つしか見つからなかった場合などの情報収集の手段の一つとしてですね。(=先行研究が少なすぎる、というパターンです)
掘りすぎて困ることはないですが、論旨に関連しない情報は載せておいても混乱すると思うので参考程度にとどめるくらいの認識でよいと思います。
>・考察や研究をする場合は、作品を物語として読むのを一旦止めて、一文一文を注意深く噛み締めていくように読み進めていく感じなのでしょうか?
どちらかというといったん全文をばーっと読んで、気になったところを再度振り返って一文一文噛みしめる感じです。小説全体から伏線を見出す感じでしょうか。
読んでる間に忘れることがほとんどなので、私は気になったところに都度線を引いたり付箋を貼ったりしてあとから振り返られるようにしていました。
残り3つのご質問については具体的な例があったほうが分かりやすいと思いますので、
資料を見つけ次第お返事させていただきます。
かげしゅらさん
だいぶ時間が空いてしまって申し訳ありません。
残りの3つのご質問にお答えいたします
・作品情報を調査する手順にて、岩尾さんが例に挙げておりました『新聞小説と同人誌にまとめた内容の寄稿とには違いがあるもので、どこが初出で、その後何回改稿されたか』ということがあることに興味が湧きまして、その違いを是非見られたらいいなと思い、一般人でも調査することが出来るのだろうかと疑問に思いました。それとも大学の研究だから出来ることなのでしょうか?
→これについては論文を漁っていると冒頭に出てくることもあるのでそこからヒントを得ていました。
分かりやすい例で言いますと、先日 文アル読書会02に取り上げられていた『雛』で偶然行き当たりましたので取り上げてみます。
(参考:https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16071/1/bungakubuhappyo_2011_2_%281%29.pdf)
上記論文の「はじめに」に記載されおります内容が書誌情報です。
この情報を見ると、『雛』は単行本『黄雀風』に取り上げられたのが最初のようですが、旧稿に『明治』という作品があるようです。
調べたところ、『明治』は、岩波文庫の芥川龍之介全集8に収録されており、おそらく今でもこの全集を探せば旧稿と『雛』の相違点は比較可能です。
なので大学に所属せずとも色々と調べている間に、このような情報に行きつき調べることが可能かと思います。
(自分はちょっと図書館に行ける時間がなくてこの旧稿を見ていないのですが、面白そうなので是非調べてみてください。)
・語りの切口とはどういった物でしょうか…?
→読んでいて分かりやすいものを見つけましたので以下をご参照ください。
http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/00015006
谷崎潤一郎「美食倶楽部」に関する論文です。
この論文では文章の推量表現などに着目して、作品の語り手がどのレイヤーに存在しているのかなどを論じています。
単純に登場人物間で完結するのではなく、登場人物→読者を意識させるような構造、あるいは作者→読者を意識させるような構造を意図的に取っている手法が「語りの切り口」です。
私が参加していた講義でよく取り扱っていた谷崎の文章は、作者・登場人物の一人称、登場人物たちの視点という語りの構造がよく話題になっていました。(最近の研究の流行なのでしょうかね…?)
こういう議論はおそらく谷崎が上記の『美食倶楽部』の他にも様々な作品で用いていた手法なので出てきた内容かと思います。講義中にはあの『痴人の愛』でも同様の議論が出てきました。
・岩尾さんがやってらした研究で、重点に置いていた作品の各論と作品内での仕掛けを検証とはどのような意味のことなのでしょうか?
→昔自分が書いたレポートを改めて漁ってみたいのですが、ちょっと拙すぎて公開する勇気がないので(笑)ざっくりと以下に内容を示します。
作品の各論、で私が展開してみたのは泉鏡花の『婦系図』です。
この話、前半部分には様々な動物が比喩表現・直接的な表現として出てきます。その動物たちについて、どのくらいの割合で何が出てくるのかを調べてグラフにして、特に登場回数、頻度が多かった動物が、どの登場人物の比喩に当たるのかを考えてまとめたことがありました。
別の議論では、同じ『婦系図』で、教授が、登場人物の身分の差と人物のいる場所が関係しているのではとも指摘していたこともありました。(身分の高い人物が二階に、低い人物が一階にいるなどという点に関してです)
「作品の各論と作品内での仕掛けの考証」というのは、こういった人物の描写の方法や、立ち位置、その人物のもつ特徴が作中にどのように表れているのかを事細かに検証していく内容になります。
以上になります。改めて、ご質問ありがとうございました。
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