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文豪とアルケミスト 第8話のとーそんを読み解く

前々回の記事・文豪とアルケミスト、アニメ化ということで以前OPの文字列を読み取った記事などを書きましたが、今回は第8話について考えたことを書いていこうと思います。
念のためですがネタバレとセリフバレが含まれますので、まだ見てない方はご注意ください。
また、以下はやや史実寄りの解説をしますが、ただの個人的な見解ですのでご容赦ください。
私個人は一応、ここまでの回はしっかり全部鑑賞済です。
ややこしくなるので以下は本家文豪のことを漢字で、文アルのキャラをひらがなで書きます。

〇ただの感想
今回、個人的に文アニ8話でびっくりしたところ、とーそん関連だと
①「何かすげえお前芥川作品読んでるな!?」
②「家族絡みの話するんだ…」

という2点でした。

①「何かすげえお前芥川作品読んでるな!?」
史実の藤村が芥川作品読んだのって、芥川が亡くなった後に『或る阿呆の一生』と『侏儒の言葉』を読んだとかそういうレベルで、あまり芥川作品をがっつり読み込んだ、という感じはないのです。とはいえ、この二つに関しては細かく読んだようで、(解釈はどうあれ)『芥川龍之介君のこと』に子細に引用をしているのですが、芥川作品そのものについては随筆等にも芥川関連の記述は殆ど見当たりません。
(ちなみに文アニの中で出て来た『羅生門』『蜘蛛の糸』『地獄変』『蜃気楼』『河童』『歯車』のいずれも藤村側の作品評には特に何も触れられてはないです)
なので個人的には「芥川作品をしっかり読むとーそん像」というのが偉い新鮮でした。転生した後だとああいう風になるんだな、みたいなところがありますね。

②「家族絡みの話するんだ…」
実は以前、OPの画像読解したところで『或る女の生涯』とか『夜明け前』が出て来ることに気づきまして、私、実は藤村の史実関連要素を入れるのだとしたら、家族関連の話になるのかなあとちょっと思っていました。(前々回の記事参照)
ただ、これまでの文アルのとーそんの扱いって基本的にかなりぼんやりした…というか、かたい君とかしゅーせー関連以外には元詩人であることくらいしか触れないタイプのキャラクターだったので今回も正直、島崎藤村関連の史実には触れないだろう、って予想の方が当たるんじゃないかと思っていたんです。
タブー視じゃないんですが、島崎藤村の過去を取り扱うと、結構重い話になりがちなので、カジュアルな「文アルとしてのとーそん」像を保つのであれば、寧ろあまり触れない方が…みたいなところがあり、本家ファンとしては複雑ですが、きっとアニメでもただの不思議ちゃん解説ポジションになるんだろうなあとうっすら予想していました。
が、まさかのここに来て、父・母・姉に触れるという押しっぷり…
「触れるのかな~、どうかな~」くらいの気楽な構えかたしてたもんだからちゃんと説明するんだ…って驚いてしまった。さすが文アニ、史実への切り込みに躊躇いがない。どうやらゲーム版文アルとは違った方向性でキャラクターを見せに行くようですね。

ただし、やはり家族を扱うにしては、第8話のとーそんが喋ったことに関しては、少し書いておかねばならぬことがある、と思いました。
そんなわけで色々と上記はただの雑感ですが、ここからはアニメの中でとーそんとしゅーせーが語り合ってるか所でいくつか気になった点がありましたので、ご紹介したいと思います。

〇史実とのギャップについて

とーそんはしゅーせーとの会話シーンで以下のような会話をしています。
①僕の父は社会になじめず、何度痛い目にあっても変わらず、最後は牢の中で死んでいった。
②その後、後を追うように母と姉は病で死に、一番上の兄は投獄されてしまった。
③僕達家族の運命は父の行いによって変わってしまったように思う。

この部分に関して、具体的に何をさしているのか考えてみます。

①僕の父は社会になじめず、何度痛い目にあっても変わらず、最後は牢の中で死んでいった。
→島崎藤村の父親、島崎正樹氏は、藤村の著作『夜明け前』に登場する主人公・青山半蔵のモデルです。
 多少の小説的脚色や、一部年代は異なりますが『夜明け前』の主人公の動向や情勢は、比較的史実的内容と合致することが昔からよく言われています。
 そこから判断して、上記のとーそんの発言と乖離しているのかを考えてみます。
 ①について、あらましは合っていますが、「社会になじめず」はやや大きく括りすぎです。
 詳しく書きますと、島崎正樹がなじめなかったのは正確には、「明治維新後」の社会の話です。江戸時代から幕末には寧ろ島崎家は羽振りが良く、正樹氏も父親の後を継いで故郷・馬籠宿の仕事を引き継ぐために手を尽くしていました。
しかし、大政奉還と明治維新によって参勤交代が終了すると、かつて宿場町として栄えた馬籠宿も、通行人が減少したことで大打撃を受けます。島崎家と正樹氏の運命が変わったのはここからで、通行量の減少から宿場町の稼ぎが減少。加えてそれまで人々が生活の基盤として来た、山林の木々を政府が官有化宣言したことで、土地に生きていた人々は苦しみました。
宿場町の人々の生活は傾きかけ、その中心人物である正樹氏(≒半蔵)は、その状況を何とか打開しようと、山林開放嘆願の中心となって反対運動をおこします。
しかし、結局この反対運動は失敗に終わり、家政も傾き没落の一途をたどることになりました。

正樹氏は教部省という、現在の文部省に努めることになりますが、彼は、この省に失望して辞職をしてしまいます。正樹氏は以前より王政復古を目指して学習などをしていましたが、この省はそれを成し遂げるには不適だった、と判断したようです。その後は、明治天皇への直訴を不敬罪と取られて逮捕。明治八年には飛騨の水無神社で宮司を務めます。
明治10年には家政を譲って隠居に入りますが、かつて宿場町の民を思い行っての行動(官有林の反対運動・その後の天皇への直訴)は結果として失敗してしまったので、隠居中も彼は世間から厳しい目で見られることになります。
次第に村の人々や家族から受け入れられなった彼は、明治19年に発狂して永昌寺への放火をしようとして捕らえられ、以後は座敷牢で亡くなるまで過ごす、という生活になりました。

 従って、「社会になじめず」と言っても、正樹氏は最初から不適合者だった、というわけではありません。寧ろ、身を粉にして宿場町を守ろうとした結果が社会・時代の流れに逆流する形となってしまったため、そこに使った労力が全て裏目に出てしまった、という結果となります。「何度痛い目に遭っても変わらなかった」というのは、正樹氏の悲願は徳川政府時代から明治新政府樹立後までずっと「王政復古」だったため、ある意味内容は合致はしていますが、いきなり「社会になじめず」と言ってしまうと少し誤解が生じるかもしれませんので、こういった経緯があったのだと思うと少し違う見方が出来るかもしれません。

②その後、後を追うように母と姉は病で死に、一番上の兄は投獄されてしまった。
 文アルのとーそんはこういっていますが、島崎正樹が亡くなってから、藤村の母親(ぬい)と姉(その)が亡くなるまでには時間的に結構な差があります。
 正樹氏が亡くなったのは1886年、ぬいが亡くなったのは1896年、そのが亡くなったのは1920年です。
 並べるとわかる通り、父-母の死まで約10年、父-姉の間で約24年の歳月が流れています。
 したがって「父親の後を追うように」という、文アルのとーそんの発言は時間間隔の話から言って奇妙な形容です。
 また、確かに母と姉の死はいずれも病ですが、母親の死はコレラが原因で、姉は一説には精神神経症だった、という違いもあります。母親は所謂当時の流行り病、姉は一説では夫の女遊びからの病→精神神経症であって、いずれも父親が座敷牢で狂死したこととは関連性はそれほどないのでは、と考えられます。
 
 ちなみに一番上の兄(秀雄)が投獄された経緯については、馬籠の旧本陣を売却し、藤村たちと一緒に上京した後となります。
 これに関しては本陣を売却・上京しなければ起こり得なかったのでは? という意味では父の影響は多少あるかもしれません。

 しかし上述から、全体的に3行目の「僕たち家族の運命は父親の行いによって変わっ」たと言い切るのは、やはりどこか言い過ぎ感が否めません。父親が狂ったそもそもの原因は、徳川江戸幕府の終了という大きな時代の変化のため。確かに父親の正樹氏が王政復古に固執せず、教部省に勤め続けて安定的な収入が得られる状態であれば、家政が完全に傾き、一番上の兄が投獄されることもなかったかもしれませんが、島崎家が馬籠宿での生活を続ける限りはこの流れには逆らえなかったのでは? と個人的には思います。

続きのとーそんの言を見てみましょう。
藤「父を恨んだことはないよ。でもね、そんな経験をしたからこそ思うんだ。人はそう簡単に変われない。変われるなら、父は自殺なんてしなくて済んだはずだから
→今回個人的に一番引っ掛かったのはここです。
 初めに、藤村の父・島崎正樹の死因は「狂死」であって、「自殺」ではのないです。割とこの辺、島崎藤村関連資料を当たってる人であればかなり違和感を覚える場所かと思います。
 正樹氏は晩年、座敷牢に入れられていたが本当に自殺ではなかったのか?という問いに関しては、夜明け前(下)後半の六に以下のような記述があり、少なくとも藤村の知る限りでは「自殺ではなかった」と明言することが出来ると思います。
万事終わった。半蔵がわびしい木小屋に病み倒れて行ったのはそれから数日の後であったが、月の末にはついに再びたてなかった。旧本陣の母屋(もや)を借りうけている医師小島拙斎も名古屋の出張先から帰って来ていて、最後まで半蔵の病床に付き添い、脚気衝心(かっけしょうしん)の診断を下した。夜のひき明けに半蔵が息を引き取る前、一度大きく目を見開いたが、その時はもはや物を見る力もなかった。もとよりお民らに呼ばれても答える人ではなかった。享年五十六。五人もある子の中で彼の枕(まくらもと)にいたものは長男の宗太ばかり。お粂(くめ)ですら父の臨終には間に合わなかった。

(『夜明け前』第二部(下)六より /下線・筆者)
上記の通り、半蔵の死因は「脚気衝心」(≒心不全と神経障害)であって、自殺ではありません。そして『夜明け前』にはここから先にも後にも、青山半蔵が死ぬという事に関しての記述はないのです。
従って文アルのとーそんが「父は自殺」と言っているのは誤りで、ここはとーそんの記憶の混濁か、フィクションとして何らかの伏線を狙って敢えて誤っているのかのどちらかではないか? と考えることが出来るでしょう。

ちなみに「自殺」というキーワードで藤村関連で真っ先に思い当たるのは藤村の友人の北村透谷です。
それ以外の主要な藤村周りの人々は殆ど病死ですので、このタイミングで「自殺」というワードが文アルのとーそんから出てくるのはどうにも個人的に気になります。なぜ藤村の「父親が」自殺なんでしょう…?
いずれにしても次回以降の展開が気になります。

では続き。
藤「もう一つあるとすれば、作家は、自分の作風を否定してはいけないと思うんだ。」
秋「作風、或いは世界観の自己否定か。君は一度もしたことがないのか?」
藤「ないよ。僕はね、自分が不幸だという自覚がある。けれどその不幸は、僕という作家がうまれるために、必要不可欠なものだった。ならば家族を、その死を踏み越えて築かれたこの世界観を、否定できるはずなんてないじゃないか」
秋「なあ島崎、君が後援会を作って応援してくれたから、僕はかろうじて作家でいられたんだと今でも思っている」
藤「今になって、感謝とかやめてよ。気持ち悪いから。」
秋「そうじゃない。僕が言いたいのは、君が居なかったら僕は変わってしまっていた。誰もが自分を貫いて、変わらず生きられるわけじゃないんだよ
藤「……」
島崎藤村が「自分が不幸だという自覚がある」と言っている詳細については最早語るまでもなくWikipediaなり一般的な藤村を扱った文学史などでも参照頂くとして、ここでは作風の話について考えてみます。
島崎藤村という作家は、詩→小説への転向箇所以外では、確かに自作のスタイルを一貫して貫いたタイプの人だと思います。
しかし、内容は全く変わっていないというわけではありません。通読して読むと、30代くらいの作品に現れる考え方と、50代くらいで書いた内容とでは大きく変化していることに気づきます。(特に子供関連の記述は38の頃の作『芽生』では「子供なんてどうでもいい」と書いている一方で、50代くらいの作『嵐』『分配』『伸び支度』可愛がってる様子を書いていたりします。それも当時藤村が置かれた環境の違いからなのでしょうが…)
しゅーせーの言う「誰もが自分を貫いて、変わらず生きられるわけない」というのは、実は本家島崎藤村から考えれば、とーそん自身についてすら言える事なのです。それは小説だけを見てもそうですが詩→小説への転向期にも同じことが言えましょう。
ただ、確かに作風そのもの(とめどなく我が身を語る)というスタイル自体は、藤村の場合は変わりません。小説を書き始めた頃は、自身のことをモチーフしない『旧主人』のような作品もありますが、基本的には自身の身近な経験や、会った人々のことをひたすら小説にしていくのが藤村のスタイルです。
故に、芥川の晩年の作を読んだ場合、とーそんがその作風の違いを指摘する、というのは理解はできる、というところでしょうか。

なおこのあととーそんは、あくたがわが侵蝕者に乗っ取られていたことを知って、自身の予想が当たったことに対して俯いたりなどしています。あの心境は一体どんな気持ちなんでしょう。
もしかしたら、上記の変化を覚えているとーそんは、しゅーせーの「誰もが自分を貫いて、変わらず生きられるわけじゃない」という言葉に、何か感じるところがあったのかもしれません。これも次回以降の展開を見ないと何とも言えませんが…

※参考文献
明治書院『島崎藤村事典』伊藤一夫編

〇まとめ
そういったわけで少し長くなりましたが、第8話の文アニ感想兼、島崎クラスタからの見え方、でした。
文アニの史実考証が侮れない、というのは重々承知なので、今後の展開次第では上記の見解も何か別の切り口から描写される可能性があり、個人的にはそこら辺を楽しみにしています。
あとしがさんが本当どうなるんだ…ってもう。

が、何はともあれまずは主要人物であるあくたがわ・だざいがどうなるか…ですよね。
だざい君の『人間失格』の中、どうやら葉造が完全に悪人みたいな様子で登場人物を殺してる(?)みたいになってるので本当続きが気になります。殺人鬼・葉造なんて、太宰クラスタでも予想しえなかった展開なんじゃないでしょうか…?

折角なので『人間失格』の最後の一言を引用して〆にします。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

ありがとうございました。

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