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その時、時計が動いた

日記帳・感想など

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全国水平社創立百周年記念映画『破戒』ネタバレ感想(※原作と比較あり)

全国水平社創立百周年記念映画として公開された映画「破戒」。
言わずと知れた島崎藤村の代表長編小説が何と2022年のこの度六十年ぶりに映画化されることになりました。
TwitterのTLで情報を入手するやいなや私も絶対に見に行くと強く心に決めながらも諸々あり公開期間ギリギリになった本日ようやく見に行くことが出来ました。地元だと上映館が県内に一件しかなくて本当に焦った。(しかも地味に遠い)無事に見に行けて良かったです。

感想について色々言いたいことはあるんですがまず第一に声を大にして言いたいのは

六十年ぶりにこの作品を世に送り出してくれてありがとう!!!!

ということです。何ならカラー映画にしてくれてありがとう、と、差別問題に関心のある監督に恵まれた映像化になってくれてありがとう、も入ります。とかく日本文学史に名の通った、そして邦画史にもきっちり名が残っている作品が、安易な客寄せではなく「全国水平社創立百周年の節目」という明確な意図を持って制作されたということに一島崎藤村読者として敬意を表したい気持ちでいっぱいになりました。
これはどちらかというと映画そのものの感想というより映画を鑑賞した後パンフレットを読んだ感想になってしまいますが、監督も脚本家も『破戒』の持つ「差別に対する普遍性」にフォーカスをし、原作を読み込んだうえで「現代人に響くための構成にするにはどうしたらいいか」というのをきっちり考えていたことを知ったからです。元々差別問題に対して関心のあった前田監督が五年前より水平社創立百周年の節目の映画として話を持ち掛けられたのがこの映画制作のきっかけであるそうですが、『破戒』はこれまで二度モノクロ映画で映像化されているだけに、現代で挑むには難しい作品である筈で、にもかかわらず原作の重々しさを残しつつ現代人が見ても当時の歴史観を感じつつ人間の心の中に誰しも持ちうる差別意識に関して目を向けられた作品に再構成されていると感じられる、実に興味深い作品となっていると感じました。

詳しい感想は本編とパンフレットのネタバレになりますので続きからどうぞ。
主に原作との相違点等を考えながら書いた内容になります。


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【受講レポ】藤村書簡から読み解く-藤村と花袋を結び付けた外国文学-

本日、11/3は文化の日。
今年は田山花袋生誕150周年ということで、花袋記念館さんでも関連文豪との特別講座が設けられました。

記念館の公開情報はこちら

記念館のTwitterで情報を得るなり一藤村ファンである私も喜び勇んで参加してまいりました。今や藤村の講座はゆかりの地である長野県小諸市以外ではなかなか開催されませんからね…花袋記念館で実施されるなんて凄く貴重です。ありがとう、生誕150周年…!

そんなわけで開催日である本日、花袋記念館の真向かい・旧上毛モリソン事務所にお邪魔しました。

【講師紹介】
今回解説してくださったのは宇田川昭子先生。
宇田川先生は花袋学会、藤村学会両方に所属し藤村と花袋の研究にお詳しい方で、花袋の弟子・白石実三の実家に足を運んだこともあるそう。
始めに研究していたのは花袋だそうですが、関連性から藤村も学ぶようになったということで、それを聞いて藤村ファンである私も期待が上がるのでした。
講座中に仰っていたのが、藤村学会と花袋学会に入っているとそれぞれの学会のカラーなども分かるらしく、藤村学会の方では解散時に藤村詩の歌を歌うことがあって驚いた、とのこと。花袋の方も詩作はしているものの藤村ほど童謡に詩が用いられているわけではないので、花袋も詩が歌として有名になればもっと魅力が伝わるのにな、と仰っておられました。

【配布資料】
配られた資料は全部で3つあり、
①書簡本文の写真
 こちらは何とフルカラーコピー(!)
 資料は以下の5点

  1.明治34年1月6日付 藤村→花袋ハガキ 表裏
  2.明治35年4月20日付 藤村→花袋ハガキ 表裏
  3.明治36年11月19日付 藤村→花袋ハガキ 表裏
  4.明治34年12月30日付 藤村→花袋封書筒 表裏
  5.明治34年12月30日付 藤村→花袋封書本文

②書簡の訳文
 ①の訳文。①の内容を訳したものに加え、記念館未収蔵の資料の以下訳文を記載

  6.明治34年10月26日付 藤村→花袋書簡
 
 この資料は全集17巻より訳文を引用したとのこと。

③解説レジメ
 書簡の解説ポイントがまとめられたレジメ
 基本的に①②の資料のうち現代人になじみが薄い語彙や作品名・作者名の解説などが補足された説明資料

でした。
①や②の内容に関しては割と私も見覚えがあるものでしたので、恐らく全集17巻の書簡の巻にどれも内容自体は載せられているかと思います。全集持っている方は確認して見ると良いかも。

お話を伺って印象に残った点やポイントなどを整理してみます。概要だけをさらっと紹介。

【藤村・花袋と外国文学】
今回の講座の中心である藤村と花袋をつないだ外国文学。
明治30年代の藤村は長野県小諸市の小諸義塾に英語教師として赴任していた都合で、欲しい洋書を当時東京住まいの花袋に送ってもらうという方法で入手していました。
ものが流通している現代においても山村地域では欲しい本が手に入らないこともあるようですが、明治30年代時期ともなるとその不便さは一層で、藤村も②6.の手紙に「御話にもならぬほどの不便なる山家」などと表現しているほど。

②2.の書簡に記載されているのが今回の解説対象である海外作品や作家たちで、その内訳は以下の通りとなっています。

・『アルネ』…ノルウェー作家/ビョルソン作の小説
 →藤村の山村に対する価値観を変化させた一作

・『猟夫日記』…ロシア作家/ツルゲーネフ作の小説
 →藤村が「旅に慰めに携へた」いと評価する作品。
  本は前後編に分かれており、後編に二葉亭四迷が訳したことで有名な『あひびき』が収録されている。この時に藤村が借りたのは前編と思われる(?)

・『寂しき人々』…ドイツ作家/ハウプトマン作の戯曲。書簡中の「フォルケルト」「キチィ」はこの作品の登場人物。
 →藤村『水彩画家』、花袋『蒲団』に影響(※)

藤村と花袋はこれらの大陸文学(露仏独スカンジナビア等、ユーラシア大陸由来の文学)を英語で読み、その感想をやりとりする書簡が数多く残っているようで、今回取り揃えられた書簡もそのうちのいくつかであるとのこと。
英語については藤村がキリスト教系の学院で教育されている間に学習したと思われる一方、花袋は上野の図書館や麹町の私塾等で独学で学んだらしいです。

花袋は最終学歴がいわゆる小学校卒で止まっている稀有な文豪ですが、そんな彼でも独学でこれらの文学を親しみ文壇の一角を担う存在になったのは凄いこと。

【余談】
『苦役列車』で芥川賞を受賞した西村賢太氏は実は田山花袋好きだそうなのですが、その理由の一つが、西村氏が愛読している作家・藤澤清造(『根津権現裏』の作者)が褒めていた作家であること、もう一つが小学校卒でありながらあれだけ世に名の知れた存在になったという点が挙げられたそうです。
花袋の文学や生き方に励まされた人がここにも…と少し感慨深くなりました。

(※)ちなみにハウプトマンの『寂しき人々』に関しては藤村も花袋も多大な影響を受け、花袋はその影響が『蒲団』に現れたと世の人々から後に指摘を受けたりなどもしたそう。
最初本人はそれを否定していましたが、次第に世の中の指摘に沿うように意見を変えて、後々『東京の三十年』で『蒲団』について「私のアンナ・マールを書こうと決心した」と書くまでになりました。
この花袋の意見の変遷については、先生も注意深く見る必要があると指摘をしており、今後は花袋の意見変遷からの研究もされていく必要があるだろうと仰っていました。

【『破戒』と『罪と罰』】
②3.のはがきには、藤村が花袋からドストエフスキー『罪と罰』を借りた旨が書かれています。

『破戒』が『罪と罰』の影響を受けたのではと指摘する論者は多いですが、藤村は直接読んだ作品の影響を花袋ほど書き遺す人ではなかったらしく、本人が具体的に言及した文章などはない模様。しかしこの書簡を見ると、藤村が『罪と罰』に関心を寄せていたことは確かで、『破戒』と『罪と罰』の構図に一部似通ったところもあることから、少なからず影響はあっただろうとする見方が多いようです。

【花袋弟子が語る交友】
最後に藤村と花袋について、花袋の弟子である白石実三氏が昭和9年9月「新潮」に「藤村と花袋と」で以下のように語っていることを引用して〆となりました。
「『さうさ、僕の島崎君への感化なぞはあるまい』花袋氏は言つた。『もしありとすれば、書だけはいくらか貸したかね、それが戦友として一緒に自然主義を興した動機になつたともいへばいへるね」

【受講感想】
まず書簡の資料が全員分(おそらく30人前後かと思いますが)カラーコピーで配布されたのには驚きましたね。そのおかげでよく藤村の字を手元で眺めることができたのがありがたかったです。書簡の字は原稿の字よりも少し走り書き感があるのが少し味わい深い。
自分はあまり海外文学に明るくなかったため、藤村や花袋の書簡や随筆等で作品名が出て来てもそこまでピンとこなかった点が多かったのですが、今回の講座を受講してみてこの書簡で出てくるものくらいは読んでみてもいいなと思うようになりました。
山村に暮らしていた藤村がわざわざ取り寄せてまで読みたいと思った洋書がどんな内容だったのか、また、藤村の作品にどのように影響するのか等は、当時の藤村の読んだものを咀嚼したうえで考えるとまた新たな視点で作品を鑑賞する楽しみが出来るような気がします。
最低限藤村・花袋ともに影響を与えたとされるハウプトマンの『寂しき人々』は読みたいなと思うと同時に、花袋にも手を伸ばすなら弟子の白石実三氏が書いた文章にも目を通してみたいなと思った次第でした。
久々に良質な講座を受講出来て楽しかったです。

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【感想・考察】文豪とアルケミスト「奇襲作戦『文學界』を浄化セヨ」

以前からプレイしている文豪とアルケミストにて、「奇襲作戦 『文學界』ヲ浄化セヨ」というイベントが始まりました。
このイベントでは、島崎藤村の親友である北村透谷が初実装・確定報酬となり、私も告知を見た瞬間に思わず何度も内容を見返してしまったほどの衝撃でした。(以下、文アルのキャラのことをひらがなで、ご本人のことを漢字で表記します。また、引用は//////////////////で囲います)

文アルはリリース日からずっとプレイしているゲームであるだけに、ここに来るまで様々なイベントや、アニメ化、舞台化などその動向を見守って来たのですが、今回遂にとーそんクラスタ待望のとーこくが実装ということでTwitterでチラ見せの段階から様々なとーこくさんを描いたイラストが上がるなど、イベント開始前から凄い賑わいになっていました。
私もいち藤村(とーそん)ファンとして実装を非常に楽しみにしながらTwitterを見ていたりしたのですが、実際、いざイベント開始当日、プレイして見ると思うところが非常に多くボリューミーな回想で、とても全て思ったことを簡単に纏められそうになくなりました。
フルボイスだったり、帝國図書館に来てからの彼らの友情だったり、その他もろもろ……兎に角最初から最後まで一言一句こういう意味がありそう、というのが次々浮かんでしまって、余りにも手の付けようがないような状態です。正直今はどれだけ時間があっても足りない気しかしません。リリース開始から4年、藤村の著作を手に取り、其の作品の中で透谷についての言及があるたびに、文アルでは一体どんな姿で実装されるのだろう、と考え過ごしてきただけに、今回のとーこくさんの姿を見て驚いて困惑してしまったくらいです。

そして今回、twitterで様々な方が感想や回想に対しての思いを語っているのを見ながら、私も少しで良いから今の考えを整理して綴っておこう、と考え、一旦思ったところから描きだしてみることにしました。
とりあえずは一旦、最初にプレイしてまず思った3点を中心に、著作を引用しながら簡単に考えたことを書いていこうと思います。
以下はあくまで「こう解釈できそう」というのを拾ったものですので、個人的なものとして受け止めてください。

※一部ネタバレありますのでご注意ください。

〇内装に牢が出て来た件について
まず今回の奇襲イベントで驚いたのが内装に牢が実装されたことです。
牢は、透谷・藤村それぞれの著作にモチーフとして象徴的に描かれる存在であり、特に北村透谷に関しては『楚囚之詩』『我牢獄』のいずれにも主人公が牢に囚われる様子が描かれます。

//////////

 もし我にいかなる罪あるかを問はゞ、我は答ふる事を得ざるなり、然しかれども我は牢獄の中うちにあり。もし我を拘縛こうばくする者の誰なるを問はゞ、我は是を知らずと答ふるの外なかるべし。我は天性怯懦けふだにして、強盗殺人の罪を犯すべき猛勇なし、豆大の昆虫を害そこなふても我心には重き傷痍しやういを受けたらんと思ふなるに、法律の手をして我を縛せしむる如きは、いかでか我が為なし得るところならんや。政治上の罪は世人の羨うらやむところと聞けど我は之を喜ばず、一瞬時いちじの利害に拘々こう/\して、空しく抗する事は、余の為す能あたはざるところなればなり。我は識しらず、我は悟らず、如何いかなる罪によりて繋縛の身となりしかを。
 然れども事実として、我は牢獄の中うちにあるなり。

北村透谷『我牢獄』

//////////

//////////

(前略)

   第二

噫《ああ》此《こ》は何の科《とが》ぞや?
 たゞ国の前途を計《はか》りてなり!
噫此は何の結果ぞや?
 此世の民に尽したればなり!
    去《さ》れど独り余ならず、
吾が祖父は骨を戦野に暴《さら》せり、
吾が父も国の為めに生命《いのち》を捨《すて》たり、
 余が代《よ》には楚囚となりて
 とこしなへに母に離るなり。

   第三
獄舎《ひとや》! つたなくも余が迷《まよい》入れる獄舎は、
 二重《ふたえ》の壁にて世界と隔たれり、

(後略)

北村透谷『楚囚之詩』

//////////


また島崎藤村の『春』にも青木(モデルは透谷)が夢の中で牢屋に囚われる場面が描かれています。

////////////////
「青木君、何故君はこんなところへ来ているんだい」と言う人があった。「何故ッて、ここは僕の家じゃないか」こう青木は答えた。 不思議にも、部屋の窓には鉄の格子が填《は》めてある。書棚《しょだな》のあるべきところには書棚がなくて、そのかわりに天然の巌石がある。その巌の鼻には今にも倒れて来そうな石が危《あやう》く懸っている。部屋の入口の開いたところから、虎の檻《おり》が見えて、しかもその檻は是方《こちら》へ向けて戸を開けてある。横の方の窓から何か覘《のぞ》いているものがあったが、よく見ると可怖《おそろ》しい毒蝮《まむし》であった。「ここは何処《どこ》だね」と青木は知らない人に聞いて見た。「解りそうなものだなあ――牢獄《ろうや》サ」とその知らない人が言った。 そう言われて見ると、部屋は堅固な鉄の塀《へい》で囲んである。青木自身は鋼鉄《はがね》の鎖で繋《つな》がれている。鎖の長さだけより外に歩くこともどうすることも出来ない。「だから僕が君に聞いてるじゃないか」と知らない人が言った。「何故君はこんな処へ来ているんだッて」「別に僕は法に触れるようなことを為《し》た覚が無いよ。見給え、僕は臆病者《おくびょうもの》だ。強盗をしたり殺人《ひとごろし》をしたりするような、そんな勇気のある男じゃない。僕は昆虫《むし》を殺しても気が咎《とが》める――それほど意気地の無い人間なんだからネ」 こう青木は言ったものの、現在牢獄の中に居るということは事実だ。何の罪があってここへ来ているのか、誰に縛られてこんな処へ押込められているのか、それは青木にも答えられない。自分の家だ、家だ、と思っているうちに、何時《いつ》の間にかこんな牢獄の中に入っていたのである。 部屋の隅《すみ》には、種々《いろいろ》な人が集まっていた。中には気楽な酒宴《さかもり》の真似《まね》なぞをして楽んでいるものもあった。そういう手合は、牢獄の番人が通る度に掌《て》を合せて拝んだり、難有《ありがた》そうに御辞儀をしたり、どうかすると番人の足を頂くような、可笑《おかし》な真似をしたりした。 気まぐれものの蝙蝠《こうもり》が窓から入って来た。「オイ、誰か婆婆《しゃば》に居る人で、この蝙蝠の顔に肖《に》たものはないか」と一人が言えば、「どれ、面《つら》を見せろ」とまた一人が言出して、各自《てんで》に蝙蝠を捕《つかま》えようとして、部屋中追い廻した。 何がなしにこの騒ぎが可怖《おそろ》しく思われて、青木は窓の方へ逃げた。彼は自分の書いた草稿を読む積りであった。鉄の格子に捉《つかま》りながら窓の外を眺めると、悄然《しょんぼり》としてそこに立っている人の姿がある。胸の上に手を組合せて、眼を瞑《つぶ》って、女らしい口唇《くちびる》をすこし突出したところは、何かこう言いたいことが有って、しかもそれを言わずにいると言ったような風である。蒼《あお》ざめた頬《ほお》には最早昔の色香が無い。「オヤ」と青木は思わず知らず手を出して、その人を牢獄の中へ引入れようとして、眼が覚めた。

(島崎藤村『春』六十二)

////////////////

この「何の罪なのかもわからない状態で牢に閉じ込められている」というのは『我牢獄』にも通じる精神です。明らかに意識して書かれているように思います。
この後岸本(モデル:藤村)は、青木を亡くし、兄が逮捕されたことで心を病む描写が描かれますが、今度はその際に同じく岸本が牢に閉じ込められるイメージを持ちます。

////////////////

「――自分は今、眼に見えない牢獄《ろうや》の中に居る。鍛冶橋に居る兄さんの為には、あれほど他《ひと》が大騒ぎしても、自分が苦んでいることを見てくれる者が無い。ああ病人は寧《むし》ろ幸福《しあわせ》だ――身体の頑健《じょうぶ》なものはそこへ倒れるまで誰も知らずにいる」
 到頭岸本はこういうことを考えるように成った。七月の下旬、ぶらりと大根畠の家を出て行こうとする頃の彼は、最早|何事《なんに》も為《す》る気の無い人であった。

(島崎藤村『春』百二十)

////////////////

このように、透谷は勿論藤村も著作の中に牢獄に捉われる登場人物・青木、そして自身がモデルとする岸本を描き、牢のイメージを読者に打ち出してきます。


他にも藤村は『夜明け前』において半蔵(モデルは藤村の父・正樹氏)が晩年座敷牢に閉じ込められた話を書いています。
これは同時に『春』にも兄・民助(≒藤村の兄・秀雄がモデル)が岸本の手を見るシーンで少し触れられます。

////////////////

父は足袋《たび》も図無しを穿《は》いた程の骨格であったから、大きさは比較に成らないが、弟の手は父のを若くしたというまでで、形ばかりでなく、蒼白《あおじろ》い表情までも実によく似ていた。(中略)
これという事業《しごと》も残さず、終《しまい》には座敷牢の格子に掴《つか》まって、悲壮な辞世の歌を読んだ人の手がそれだ。
「捨吉も年頃だ。そろそろ阿爺《おやじ》が出て来たんじゃないか」

(島崎藤村『春』五十)

////////////////

夜明け前については最早有名なエピソードかと思うので一度引用は割愛とします。


藤村・透谷の双方がこれだけ多くの牢のイメージを著作に盛り込んでいる状況を知っていると、あの内装がただ単純な「牢屋の一枚絵」とはどうしても思えなくなってきます。やはり意図的なものと考えるのが妥当でしょう。
正直この時点で「何と業の深いことを……」と唖然としたのは言うまでもありません。何せ、奇襲作戦で初めて転生してくるであろうとーこくを迎えるタイミングで牢の内装ですから、とーそん・とーこくそれぞれからの意味合いを持って描いたのだろうと想像できました。そして一方、装像でとーこくが外に出てくる開放的な表情を見てしまうと、非常に重い意味づけを打ち出してくるな…と思いました。


〇なぜ文アルのとーこくはとーそんに異常な執着を示す存在になったのか
透谷を多少齧った人ならわかるかと思いますが、本家・北村透谷という人物が島崎藤村に対して当てて書いたものはそれほど多くありません。『古藤菴に遠寄す』という詩が、明確に藤村を差して書かれたものである、というのは間違いないですがそれ以外となると書簡が主ではという印象です。(ただし私はあまり透谷のことを深く知っているわけではないのであくまで藤村との対比で考えた場合、と捉えてください)

//////////

一輪《いちりん》花の咲けかしと、
   願ふ心は君の爲め。
薄雲《はくうん》月を蔽ふなと、
   祈るこゝろは君の爲め。
吉野の山の奧深く、
   よろづの花に言傳《ことづて》て、
君を待ちつゝ且つ咲かせむ。

北村透谷『北村透谷詩集‐古藤菴に遠寄す』

//////////

古藤菴とは、藤村の文學界時代のペンネーム、古藤菴無声のことです。とても美しい詩です。


一方で島崎藤村が北村透谷に向けて書いた内容は無数に残っています。回想内でも言われている通り、『桜の実の熟する時』や『春』といった作品では透谷自身の作品を自身の作品でも引用する等、藤村→透谷に対する執着は強いですし、他にも『北村透谷の短き一生』『北村透谷君』『北村透谷二十七回忌に』『亡友反古帖』など、上げるだけでもキリがないほど藤村は北村透谷のことを多く書いています。何ならあの『芥川龍之介君のこと』にでさえ北村透谷の名前が出てきます。藤村の書くものを一カ月程度読めばすぐに何らかの北村透谷の記述に行き当ることができるでしょう。
従ってこの二人の関係は史実的に言えば明らかに藤村→透谷であり、それを知っている人から見れば今回の回想でとーこくがとーそんに執着する描かれ方は単純になぜそうなったのか疑問にすら思えます。「文豪同士の関係性」を売りとしているゲームで本来の関係性とは反対の関係性を採用する、というのはある種奇妙な話であるしましてや初期の頃のアクタガワとソーセキの年齢差などにこだわって作った運営からするとこの関係性の逆転を無意味に採用しているとは考えにくいようにも思えました。単純にキャラづけや話題性のためにそうなったと安易に結論付けることも出来るでしょうが、個人的にはその発想は全て手を尽くした後に結論すべきだと考えています。深堀が出来るまでは追求していった方が面白いし為にもなる。「解釈違い」の一言で切って捨てずに、アレコレと考えを巡らせてみたい。

というわけで以下はその理由について考えてみたいと思います。まず考える必要があるのが「文アルの世界観制約・特定のルールに基づいてこの関係性が採用された可能性」です。
私が思うに今回の話のルールは2つ、「とーこくがとーそんの影響下にある存在として生み出されたこと」そして「女性向けゲームとしての制約があった」です。そして結論から言うと、大胆な仮説ながら、この2つの理由をもってとーこくが北村透谷像を帯びて転生するために、とーそんが大好き、という設定を付け加えられたのではないか、と考えました。

・とーこくはとーそんの影響下にある存在として生み出された
 文アルのキャラクターを構成する要素は、文豪本人のエピソードだけではありません。著作もその要素のうちの一つであり、ミヤザワケンジやニイミナンキチなどを見ればわかる通り、文豪の代表作もキャラクター造型に大きく影響をしています。
透谷の代表作と言えば『蓬莱曲』『楚囚之詩』『厭世詩家と女性』などがあげられますが、殊今回に至っては島崎藤村著『桜の実の熟する時』『春』の影響も大きいと思います。ゲーム内でも触れられている通り、著作内の一登場人物として、北村透谷をモデルとした人物(青木)が登場しているためです。
ただしとーこく自体が『桜の実~』『春』を元にして転生したのであれば、『桜の実~』や『春』に忠実な人物像として現れもするはずです。しかし、ゲームではそうもなっていない。両作品にも、そもそも青木(≒透谷)が岸本(≒藤村)に依存気味になる流れなどはなく、青木が妻・操(≒モデル:透谷の妻・石阪美那子)と結婚してから苦難の人生が淡々と語られていくに留まっています。すなわち、これらの著作が元になっている、とは考えにくいのです。

次に考えられるのが、”『桜の実~』や『春』を通して透谷の文学が後に語り継がれることになったという作品流布の背景”です。
これは藤村自身が語っていることでもありますが、透谷の著自体が文學界の原稿を収集した藤村を介して世に広まったという経緯があります。散逸した原稿を集塊し『透谷集』にまとめたのが藤村その人であり、そういった意味では藤村が透谷の著をまとめなければこの令和の時代に北村透谷の著作が読めなくなっていた可能性すら高いのです。

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(前略)

彼の絶筆ともいふべき『エマルソン』(民友社出版、十二文豪の内)の評伝は未完成のまゝの原稿を私が引き受けて整理したものであり、彼の遺稿として最初に世に公けにした『透谷集』(文學界雑誌社出版)は私が編んだり校正したりしたものであつた。たしかあの最初の集は雑誌『文學界』の同人であり編集者であつた星野君兄弟の手で七百部印刷し、それきり絶版したかと思ふ。
私があの友人と交つたのは亡くなる前の四年間位に過ぎないが、しかしその短い間が私に取つては何か一生忘れられないものであり、透谷が死んだ後でも、書いた反古《ほご》だの、日記だの、種々書き残した手紙なぞを見る機会があつて、長い年月の間にあの友人のことを考へて見ると、掘つても掘つても尽きないやうな種々なものが後から/\と出てくるやうに思われた。これほど私が透谷のことを忘れないといふのも、一つは自分の年の若く心の柔から青年時代にあの友人と知合になつたからでもあり、一つはあの友人の書き遺したものを纏めて置かうと思ふほど深い縁故のあつたからでもあるが、就中《とりわけ》私があの友人から感化を受けたことの深かつたからであらう。彼こそはまことの天才と呼ばるべき人であつたと思ふ。

(後略)

島崎藤村『北村透谷の二十七回忌に』
※旧字は新字に改めました

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この背景を考えると、文アルの場合、とーこくにとってとーそんは親のような存在であり、自身の存在の拠り所とさえなっているといえるのではないでしょうか。だからこそ侵蝕者化したとーこくはまずとーそんに接触して有碍書の中に閉じ込めようとするし、とーそんのことを(異常なまでに)持ち上げるし、その周辺にいるカタイやドッポやシューセーから切り離そうともする。侵蝕者化したとーこくにとって、カタイやドッポやシューセーは自分と馴染みのない人間であり、とーそんと自身を分断する邪魔者である。とーそんを手中に収めてしまえば、侵蝕者としての自分は自身の世界を滅ぼすこともできる、と考えることさえ可能です。
話が反れましたが、上記の通り透谷の作品が藤村を通して後の世に伝えられたことが、「とーこく自体の存在がとーそんの存在を依り代にしている」という設定となり、異常な執着心の要素の一つとなっているのではないか、と考えられるように感じました。これがまず第一の要素です。そしてこれに加えてもう一つの要素が、とーこくの依存に影響してきます。

・女性向けゲームとしての制約

 事前情報としてとーこくの見た目は

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「我は十二三の嬋娟たる少女となりて野花を摘むの無邪氣に反へることを得ば死すとも恨むところなしと」
(≒私は十二三歳のあでやかで美しい少女となって野花を摘むような無邪気な人になれれば死んでも悔いはない)

(北村透谷『幽鏡の逍遥』)
/////////////////////////////

という記述に立脚しているものではないか、という指摘が、一プレイヤーによってされていました。 もし本当にこの記述を元としてとーこくの見た目が設定されているならば、多少の違いはあっても転生後の見た目は12、3歳程度ということになります。この頃の透谷はまだ故郷の小田原にいる年齢であり、その詳細は不明な部分も多い状況です。透谷が『文學界』の活動を通して有名となったのは21歳ごろの話であり、彼の恋愛思想の根幹を成す妻・美那子と出会ったのもこの21歳周辺です。即ち、12、13歳の見た目で転生したのであれば、そもそも文学に触れる前、と言えます。ですがこれはあくまで「死すとも恨むところなし」という透谷の願望の話であるため、完全に史実として12,3歳にしていたこととはあまり関係がありません。どちらかというと重要なのは、「恋愛至上主義」の根となる妻と出会っていない年齢であることです。
 北村透谷という人物を考えた場合、何よりも先に思い出されるのが「恋愛至上主義」を唱えた、ということです。正確には、『厭世詩家と女性』で示される「恋愛は人世の秘鑰なり、恋愛ありて後人世あり」という一言から始まる論考を発表したことで島崎藤村を引き寄せ、彼のその後の文学活動に大いに影響した、という点です。
これは北村透谷を語る上でこれは外せない要素の一つであり、根幹となっているのは妻・美那子氏との恋愛体験であるのは言うまでもありません。このように“恋愛”が根幹にありながらも、文アルのとーこくにはその対象となる人物がいない状況です
文アルはゲーム内で妻の存在を詳らかに語ることも女性向けゲームとしては避けたいよう(事実、どんな愛妻家の文豪を実装してもゲーム内で妻への愛情と取れる台詞を実装しない)です。これは文アルが女性向けゲームである以上ある程度念頭に置いておくべきかも知れない重要な制約の一つである、と個人的には思えます。
妻との恋愛に端を発した論考を、妻抜きで語るにはどうすればいいか。非常に難しい描き方になると思いますが、そこで取れる方法が、この“恋愛”を何か別の方法で表現するか、あるいはなかったことにしてしまうかのいずれかだったのではないでしょうか。文豪ゲームとしてこの要素を無かったことにできない文アルは、恐らく前者を採用し、“恋愛”をまず「(自身の存在を残した)とーそんが大好き」という方向に転化し恋愛至上主義透谷の存在を何とか表現しようとしたのではなかろうか、と思いました。事実、とーこくはとーそんに手紙を書こうとするなどそれらしい言動をしていますがこれは女性向けゲームで元作家の代表作的思想を為す“恋愛”を何とか表そうとしているための苦肉の策なのでしょう。そして最初の、転生年齢が12・13歳程度という仮説と合わせてこの話を俯瞰して見ると…とーこくの全体像は「恋愛至上主義」の要素を残しつつ「自身の存在を残したとーそんに猛アピールしてくる造型」にした、著作と史実のハイブリッド型であると捉えることも出来そうな気がします。

本家透谷はかつて生活に立ちいかなくなり、次第に精神を病み、妻を誘って心中しようとします。ですが、その際妻に「自分には子供がいるから」と断られます。これはかつての妻・美那子氏が談話『春と透谷』に書いています。
今回の回想の侵蝕者版とーこくのとーそんへの過激な言動は、そんなかつての妻の位置に別人を当てはめた影響によるもの、なのかもしれません。

ここまで読んでそんな表現の仕方しなくても…と思った人もいるかもしれないので参考までに。
実は散策で信頼度を50以上に上げるととーこくは司書に対しても「大好きだよ」と言って来ます…彼にとっての「好き」の意味合いは信頼してる的なニュアンスなのでしょうか。今後の描かれ方にも注目したいところです。


〇本家透谷『厭世詩家と女性』と、文アル回想『厭世詩家と浪漫派詩人』の相違点と共通項

上記を前提として、参考までに北村透谷的“恋愛”と、文アルのとーこくの挙動による"恋愛"と思しき箇所の違いなども考えてみたいと思います。ただし、本家の方は当然時期によって考え方に変遷があることを考慮し、ここでは回想のもととなっているであろう原題『厭世詩家と女性』を考えることで検証を試みます。

本家・透谷の恋愛至上主義というのは、想世界(本来人間が生まれながらに理想として持つ世界)と実世界に分かれており、想世界で最後に残るのが恋愛であり、その詩人に従えば結婚した女性も悲劇的な結末を辿るという趣旨らしいです。なぜ女性にとって悲劇かというと、詩人は以下のように恋愛を至上とすることで、結婚によって詩人が理想としている恋愛は実世界(世俗)に落ち、死によって世俗と物質界とを脱出する、という発想となり、それに付随し付き従う女性も端的に振り回されるから、といったところのようです。

////////

・生理上にて男性なるが故に女性を慕ひ、女性なるが故に男性を慕ふのみとするは、人間の価格を禽獣の位地に遷す者なり。春心の勃発すると同時に恋愛を生ずると言ふは、古来、似非小説家の人生を卑しみて己れの卑陋なる理想の中に縮少したる毒弊なり、恋愛豈単純なる思慕ならんや、想世界と実世界との争戦より想世界の敗将をして立籠らしむる牙城となるは、即ち恋愛なり。

 (→生理的に男であれば女を慕い、女であれば男を慕うとするだけの人は、人間の価値を禽獣の地位に貶める人だ。性欲が発生すると同時に恋愛を生じると言う人は、昔のエセ小説家の人生を卑しんで自分を小さな理想に収縮している弊害を受けた者である、恋愛がどうして単純な思慕であろうか、想世界と実世界の戦いより、想世界の敗将に立て籠もらせる牙城となるのが、即ち恋愛である)

・恋愛によりて人は理想の聚合を得、婚姻によりて想界より実界に擒せられ、死によりて実界と物質界とを脱離す。抑そも恋愛の始めは自らの意匠を愛する者にして、対手なる女性は仮物なれば、好しや其愛情益発達するとも遂には狂愛より静愛に移るの時期ある可し、此静愛なる者は厭世詩家に取りて一の重荷なるが如く(後略)

 (→恋愛によって人は理想の聚合を得る、婚姻によって想界から実界に捕らえられ、死によって実界と物理界を脱出する。そもそも恋愛の始めは自らの立場を愛する者であり、相手である女性は仮の物であるので、よしやその愛情による利益が生じたとしても遂には狂った愛から静かな愛に移る時期があるだろう、この静かな愛というものは、厭世詩家にとって重荷のようなものである)

・嗚呼不幸なるは女性かな、厭世詩家の前に優美高妙を代表すると同時に、醜穢なる俗界の通弁となりて其嘲罵する所となり、(中略)遂に其愁殺するところとなるぞうたてけれ、うたてけれ。

 (→ああ、不幸なのは女性だ。厭世詩家のために、品があり、極めて優れているを代表すると同時に、醜く汚らわしい俗世との通訳になってそのあざけり罵られるところになり、(中略)遂にその非常に嘆き悲しむことになる、気の毒だ、気の毒だ)

北村透谷『厭世詩家と女性』

※カッコ内の訳文:筆者

//////////

論全体が、何とも詩人、哲学的・厭世的・自己愛的です。そもそも女性への愛は自己愛への借り物であり、その愛自体が実界と物理界から逃れるためには死が救いであるかのような…確かに夫がこういった思想の持ち主の女性ならば、女性は詩人の妻たる名誉と引き換えに、彼らの難解な言葉を世の中に翻訳し、片手で子供を育てながら生活もして、夫も支えて…と大変なこと三昧。そして、最後には自身の理想を求めて夫に死なれでもして客観的な立場からは悲劇でしょう。
そして詩人の側からすれば何なら結婚は人生の墓場とはまさにこのこと。詩人の恋愛的には結婚したら実界入りしてしまうので至上ではないらしいです。何というか…結婚すると詩人は自身の思想を世俗に落とすことになり、女性は気難しい男性に付き合わなければならない…お互い幸せになれない…だから恋愛至上主義って感じですね。



そう考えると割と図書館のとーこくが表現する「恋愛」というのは、こうした厳密な透谷文学の定義枠から外れ、一般的な分かりやすい「恋愛」の形に置き換えられているようですが、文アルの回想「厭世詩家と浪漫派詩人」の詩人で出てくる以下のやり取りは、「想世界」に引きこもりになる詩人そのものと重なる部分もあり、やはり少し示唆的なニュアンスを感じます。


///////////////////
(以下はイベストの引用につき、表記は対ゲーム内の文豪の話です)

藤:二人でこの世界の終わりを見届ける……それは無理だよ透谷
透:どうして?
藤:君はとても不安定な存在なんだ
  この本が崩壊しかかっている今、君はいつ消えてもおかしくないんだよ
  ほら……もう身体が透き通って、消えかけている……
  君の魂が消える前に、ここを出ないと。僕達と一緒に転生しよう、透谷
透:…………………
  ……その先になにがあるっていうの?
  また終わりのない苦しみの中で生きて行かなきゃいけないの?
  書いて、書いて、書いて、全ての力を込めて思いをぶつけて、それでも駄目だったんだ……
  僕の思いは届かなかった。もう嫌だ。もう書きたくない
  だったらここで消えても構わない……
藤:透谷……君の苦しみは分かるつもりだ。僕も同じ気持ちを味わった
  書く限り、生きたいと思う限り、苦しみからは逃れられない
  君の最期を考えたら、転生してくれっていうのは酷なことかもしれない……
  でも、こんな場所で死ぬことが本当に君の望みだったの?
  広い世界を見に行って、新しい詩の世界を拓こうとしていた君は
  本当にいなくなってしまったの?
  僕は違う。君の世界をもう一度見たいから、ここに立ってるんだ
  また一緒にやろうよ、透谷
  失敗するかもしれないけど……何度挫折しても、僕はずっと君の傍にいるよ
  君は天才だった。ほかの誰にも書けない詩が書ける唯一無二の人間だった
  目を覚ましてよ、透谷!
透:………………っ
  ……僕はもう、詩人じゃない。あの時みたいな詩は書けないんだ
  僕の心の火は消えたんだ
  この『文學界』を消す前に……まず自分の作品を全部消した
  僕の、北村透谷の詩は、何も残ってないよ
  僕はもう詩人に戻れない

文豪とアルケミストイベント 『文學界』ヲ浄化セヨ「厭世詩家と浪漫派詩人」より

///////////////////

上記で言う「この世界」が本家『厭世詩家と女性』の「想世界」といったところでしょうか。
このあたりは、史実でいう妻のポジションがとーそんに入れ替わっていること、そして「一緒にこの世界の終わりを見届けてほしい」ととーこくと共に破滅宣言されていることを考えると、色々と考えさせられる場面です。
「君の最期」……すなわち妻に共にあることを提案しても断られ自死したことを考えると、とーそんがとーこくの転生を酷だ、と表現することも分かります。
「また終わりのない苦しみの中で生きて行かなきゃいけない」という言葉も大変重いですし、だからこそ後半の「君の世界をもう一度見たい」という願いが希望のようにも思えます。とーこく→とーそんの激しい感情に目が行きがちですが、やはりとーこくを救おうとするのも、またかつて著作を集めて世に出したとーそんに近しい行動とも考えられます。



さて、今回は『厭世詩家と女性』を中心として、文アルのとーこく像について簡単に考えてみました。
やや文学の話に寄ってしまいましたが、これでほんの回想の一場面の感想…なので非常にボリューミーです。時間があったら他のシーンの感想・考察も考えてみたいところですが、あるかなぁ…

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文アル茶会:泉鏡花編メモ

以下は2020/11/7文アル茶会(泉鏡花編)の個人的な議事メモです。
離席による脱落・聞き損ないなどを含みます。

-------------------

参加者:
進行:南氏
文豪とアルケミストプロデューサー:谷口氏
泉鏡花記念館館長:秋山氏

〇基本情報
美と幻想と反俗の作家。浪漫主義の作家。
谷口:最初は『高野聖』を授業に読んだ。文体が難しかったが美しい表現だった。
鏡花は147年前の生まれ。
すずさん能楽師の内 子鼓の家。能楽に通うような雰囲気

鏡花の母は若くして亡くなった。(四人目の子29のとき/鏡花9歳の時)
鏡花の文学にどのような影響を与えたか。
→母のいる他界は憧れの場所となる。
鏡花の作品は妖怪などを美しく表現している→なつかしさを覚えるような書かれ方をしている
鏡花の奥さんは母親と同じ「すず」さん。(名前がおなじというのは決まったようなものですね(笑)/秋山談)

鏡花文学は一般的には難しい。戯曲や作品を読みとくのに知っておいた方がいいことは?(
現実世界に以外にもう一つ別の世界がある。(天狗・妖怪が居るという世界観。)
→柳田国男の民俗学にも影響を与えている。
他界≒現実世界で叶わないことが叶う
読み解くポイントは3つ。
・美しい女性(妖怪/幽霊)が母のような優しさだけでなく、恐怖もある(『高野聖』)
・読者の想像にゆだねる(ex『龍譚談』の龍)
・既にある話を取り込み組み合わせて自分の作品に仕立てている(平家物語)
→敢えて言葉で表現しないことで広がる作品の世界観

この世とあの世の境目に特徴がある
「ものの最もひどきは黄昏なり」→何か起こるかもしれないゾクゾク感。境目の曖昧さも魅力かも。

谷口:黄昏時の表現が怖い…もう一回讀んで見たくなる

南:煙管に千代紙のキャップが付いていて可愛かった
→あの煙管は奥さんのお手製。鏡花は繊細な人。言霊信仰/作品は売るが原稿は売らない、など個性的な性格。
雷と犬が嫌い。
記憶力が抜群(10年前にあった人を覚えている)
30で赤痢になり、潔癖症に。冷ややっこは駄目(湯豆腐はOK/ただし昆布は下にしかないで上に乗せる)

文アルの泉鏡花
…潔癖症(手に白い手袋/手から感染する)
 紅葉(家紋)
 徳田・尾崎と合わせて紅葉
 手に持っている本は実際にある本?→鏡花全集の表紙+紅葉柄
 全集の模様には意味が?源氏の香道(着物の柄にもよく使われている)
 完璧人間・クールな印象のキャラ象→潔癖症から

初回装像について:
紅葉を中心に鏡花と秋声の微妙な関係が分かる(秋山談)

鏡花→秋声(距離を感じる)
 「度々お邪魔いたし候」などと鏡花が書いている。
 鏡花は動きが素早い人。秋声は胃が悪くて食べるのが遅い。
 秋声→鏡花は片思いに近い。憧れがあった。
秋声の『和解』…鏡花をKと呼んでいる。そこで「昔の思い出が思い出される」などと書いている。
二人は作風も気質もちがうが不思議を書いた。(秋山談)
 秋声:縁があって結ばれる男女の小説が多い(何となく「不思議」)
 鏡花:他界・異界などの「不思議」

〇3年前の金沢三文豪タイアップについて
秋山:中学生~20代の女性が多かった
金沢学院大学に文アルをきっかけに泉鏡花を学びたい!と来た人が多くて嬉しかった。(鏡花記念館館長)

谷口:文アルをきっかけに若い人が大学に入ってくれてありがたい。
研究したいという人が繋がってくれれば、文学は死なない。文アルを作ってよかった。

〇ゆかりの品
・鏡花ゆかりの品(うさぎの置物)…鏡花が大切にしていたもの。
形見分けに三角健正さん(最後にみとった医者・麹町の医者)からもらった。
結構目がギロっとしててリアル。
鏡花記念館の座布団に乗ったウサギが一番のお気に入りだった。

・「花ふたつ 紫陽花あをき 月夜かな」の掛け軸
日本橋の料亭で紫陽花がみえたのを参考につづったもの
「花一つ」の部分は「花幾つ」→「花二つ」から変遷
鏡花は紫陽花が大好きだった。これは全集にも収録されている。
字も繊細で美しい。(谷口談)
上の方にスペースを取ることが多い。(あえてまっすぐに書かずに強調したいものを狙っている?)
他にも鏡花は花の中だと桜が大好き。

〇質問のコーナー
鏡花作品の中で一番怖いと思うのは?
秋山:『注文帳』理由のある階段・吉原の 心中 雪の積もった吉原に鮮血が飛ぶ。
谷口:印象に残って居るのは『高野聖』山にいると幼少期の怖さを思い出す。どれも怖い…

文体に挫折したのですが、読みやすくする方法はあるか?
秋山:究極的には「」を先に読む。『化鳥』以降は講談に近いので読みやすくはなる。
谷口:私もそれが聞きたかった。
秋山:誰が何を話しているのか把握したうえで読むと読みやすい。注を読むのも〇です。

金沢にきてさらに作品世界を感じてください。

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文豪とアルケミスト 第8話のとーそんを読み解く

前々回の記事・文豪とアルケミスト、アニメ化ということで以前OPの文字列を読み取った記事などを書きましたが、今回は第8話について考えたことを書いていこうと思います。
念のためですがネタバレとセリフバレが含まれますので、まだ見てない方はご注意ください。
また、以下はやや史実寄りの解説をしますが、ただの個人的な見解ですのでご容赦ください。
私個人は一応、ここまでの回はしっかり全部鑑賞済です。
ややこしくなるので以下は本家文豪のことを漢字で、文アルのキャラをひらがなで書きます。

〇ただの感想
今回、個人的に文アニ8話でびっくりしたところ、とーそん関連だと
①「何かすげえお前芥川作品読んでるな!?」
②「家族絡みの話するんだ…」

という2点でした。

①「何かすげえお前芥川作品読んでるな!?」
史実の藤村が芥川作品読んだのって、芥川が亡くなった後に『或る阿呆の一生』と『侏儒の言葉』を読んだとかそういうレベルで、あまり芥川作品をがっつり読み込んだ、という感じはないのです。とはいえ、この二つに関しては細かく読んだようで、(解釈はどうあれ)『芥川龍之介君のこと』に子細に引用をしているのですが、芥川作品そのものについては随筆等にも芥川関連の記述は殆ど見当たりません。
(ちなみに文アニの中で出て来た『羅生門』『蜘蛛の糸』『地獄変』『蜃気楼』『河童』『歯車』のいずれも藤村側の作品評には特に何も触れられてはないです)
なので個人的には「芥川作品をしっかり読むとーそん像」というのが偉い新鮮でした。転生した後だとああいう風になるんだな、みたいなところがありますね。

②「家族絡みの話するんだ…」
実は以前、OPの画像読解したところで『或る女の生涯』とか『夜明け前』が出て来ることに気づきまして、私、実は藤村の史実関連要素を入れるのだとしたら、家族関連の話になるのかなあとちょっと思っていました。(前々回の記事参照)
ただ、これまでの文アルのとーそんの扱いって基本的にかなりぼんやりした…というか、かたい君とかしゅーせー関連以外には元詩人であることくらいしか触れないタイプのキャラクターだったので今回も正直、島崎藤村関連の史実には触れないだろう、って予想の方が当たるんじゃないかと思っていたんです。
タブー視じゃないんですが、島崎藤村の過去を取り扱うと、結構重い話になりがちなので、カジュアルな「文アルとしてのとーそん」像を保つのであれば、寧ろあまり触れない方が…みたいなところがあり、本家ファンとしては複雑ですが、きっとアニメでもただの不思議ちゃん解説ポジションになるんだろうなあとうっすら予想していました。
が、まさかのここに来て、父・母・姉に触れるという押しっぷり…
「触れるのかな~、どうかな~」くらいの気楽な構えかたしてたもんだからちゃんと説明するんだ…って驚いてしまった。さすが文アニ、史実への切り込みに躊躇いがない。どうやらゲーム版文アルとは違った方向性でキャラクターを見せに行くようですね。

ただし、やはり家族を扱うにしては、第8話のとーそんが喋ったことに関しては、少し書いておかねばならぬことがある、と思いました。
そんなわけで色々と上記はただの雑感ですが、ここからはアニメの中でとーそんとしゅーせーが語り合ってるか所でいくつか気になった点がありましたので、ご紹介したいと思います。

〇史実とのギャップについて

とーそんはしゅーせーとの会話シーンで以下のような会話をしています。
①僕の父は社会になじめず、何度痛い目にあっても変わらず、最後は牢の中で死んでいった。
②その後、後を追うように母と姉は病で死に、一番上の兄は投獄されてしまった。
③僕達家族の運命は父の行いによって変わってしまったように思う。

この部分に関して、具体的に何をさしているのか考えてみます。

①僕の父は社会になじめず、何度痛い目にあっても変わらず、最後は牢の中で死んでいった。
→島崎藤村の父親、島崎正樹氏は、藤村の著作『夜明け前』に登場する主人公・青山半蔵のモデルです。
 多少の小説的脚色や、一部年代は異なりますが『夜明け前』の主人公の動向や情勢は、比較的史実的内容と合致することが昔からよく言われています。
 そこから判断して、上記のとーそんの発言と乖離しているのかを考えてみます。
 ①について、あらましは合っていますが、「社会になじめず」はやや大きく括りすぎです。
 詳しく書きますと、島崎正樹がなじめなかったのは正確には、「明治維新後」の社会の話です。江戸時代から幕末には寧ろ島崎家は羽振りが良く、正樹氏も父親の後を継いで故郷・馬籠宿の仕事を引き継ぐために手を尽くしていました。
しかし、大政奉還と明治維新によって参勤交代が終了すると、かつて宿場町として栄えた馬籠宿も、通行人が減少したことで大打撃を受けます。島崎家と正樹氏の運命が変わったのはここからで、通行量の減少から宿場町の稼ぎが減少。加えてそれまで人々が生活の基盤として来た、山林の木々を政府が官有化宣言したことで、土地に生きていた人々は苦しみました。
宿場町の人々の生活は傾きかけ、その中心人物である正樹氏(≒半蔵)は、その状況を何とか打開しようと、山林開放嘆願の中心となって反対運動をおこします。
しかし、結局この反対運動は失敗に終わり、家政も傾き没落の一途をたどることになりました。

正樹氏は教部省という、現在の文部省に努めることになりますが、彼は、この省に失望して辞職をしてしまいます。正樹氏は以前より王政復古を目指して学習などをしていましたが、この省はそれを成し遂げるには不適だった、と判断したようです。その後は、明治天皇への直訴を不敬罪と取られて逮捕。明治八年には飛騨の水無神社で宮司を務めます。
明治10年には家政を譲って隠居に入りますが、かつて宿場町の民を思い行っての行動(官有林の反対運動・その後の天皇への直訴)は結果として失敗してしまったので、隠居中も彼は世間から厳しい目で見られることになります。
次第に村の人々や家族から受け入れられなった彼は、明治19年に発狂して永昌寺への放火をしようとして捕らえられ、以後は座敷牢で亡くなるまで過ごす、という生活になりました。

 従って、「社会になじめず」と言っても、正樹氏は最初から不適合者だった、というわけではありません。寧ろ、身を粉にして宿場町を守ろうとした結果が社会・時代の流れに逆流する形となってしまったため、そこに使った労力が全て裏目に出てしまった、という結果となります。「何度痛い目に遭っても変わらなかった」というのは、正樹氏の悲願は徳川政府時代から明治新政府樹立後までずっと「王政復古」だったため、ある意味内容は合致はしていますが、いきなり「社会になじめず」と言ってしまうと少し誤解が生じるかもしれませんので、こういった経緯があったのだと思うと少し違う見方が出来るかもしれません。

②その後、後を追うように母と姉は病で死に、一番上の兄は投獄されてしまった。
 文アルのとーそんはこういっていますが、島崎正樹が亡くなってから、藤村の母親(ぬい)と姉(その)が亡くなるまでには時間的に結構な差があります。
 正樹氏が亡くなったのは1886年、ぬいが亡くなったのは1896年、そのが亡くなったのは1920年です。
 並べるとわかる通り、父-母の死まで約10年、父-姉の間で約24年の歳月が流れています。
 したがって「父親の後を追うように」という、文アルのとーそんの発言は時間間隔の話から言って奇妙な形容です。
 また、確かに母と姉の死はいずれも病ですが、母親の死はコレラが原因で、姉は一説には精神神経症だった、という違いもあります。母親は所謂当時の流行り病、姉は一説では夫の女遊びからの病→精神神経症であって、いずれも父親が座敷牢で狂死したこととは関連性はそれほどないのでは、と考えられます。
 
 ちなみに一番上の兄(秀雄)が投獄された経緯については、馬籠の旧本陣を売却し、藤村たちと一緒に上京した後となります。
 これに関しては本陣を売却・上京しなければ起こり得なかったのでは? という意味では父の影響は多少あるかもしれません。

 しかし上述から、全体的に3行目の「僕たち家族の運命は父親の行いによって変わっ」たと言い切るのは、やはりどこか言い過ぎ感が否めません。父親が狂ったそもそもの原因は、徳川江戸幕府の終了という大きな時代の変化のため。確かに父親の正樹氏が王政復古に固執せず、教部省に勤め続けて安定的な収入が得られる状態であれば、家政が完全に傾き、一番上の兄が投獄されることもなかったかもしれませんが、島崎家が馬籠宿での生活を続ける限りはこの流れには逆らえなかったのでは? と個人的には思います。

続きのとーそんの言を見てみましょう。
藤「父を恨んだことはないよ。でもね、そんな経験をしたからこそ思うんだ。人はそう簡単に変われない。変われるなら、父は自殺なんてしなくて済んだはずだから
→今回個人的に一番引っ掛かったのはここです。
 初めに、藤村の父・島崎正樹の死因は「狂死」であって、「自殺」ではのないです。割とこの辺、島崎藤村関連資料を当たってる人であればかなり違和感を覚える場所かと思います。
 正樹氏は晩年、座敷牢に入れられていたが本当に自殺ではなかったのか?という問いに関しては、夜明け前(下)後半の六に以下のような記述があり、少なくとも藤村の知る限りでは「自殺ではなかった」と明言することが出来ると思います。
万事終わった。半蔵がわびしい木小屋に病み倒れて行ったのはそれから数日の後であったが、月の末にはついに再びたてなかった。旧本陣の母屋(もや)を借りうけている医師小島拙斎も名古屋の出張先から帰って来ていて、最後まで半蔵の病床に付き添い、脚気衝心(かっけしょうしん)の診断を下した。夜のひき明けに半蔵が息を引き取る前、一度大きく目を見開いたが、その時はもはや物を見る力もなかった。もとよりお民らに呼ばれても答える人ではなかった。享年五十六。五人もある子の中で彼の枕(まくらもと)にいたものは長男の宗太ばかり。お粂(くめ)ですら父の臨終には間に合わなかった。

(『夜明け前』第二部(下)六より /下線・筆者)
上記の通り、半蔵の死因は「脚気衝心」(≒心不全と神経障害)であって、自殺ではありません。そして『夜明け前』にはここから先にも後にも、青山半蔵が死ぬという事に関しての記述はないのです。
従って文アルのとーそんが「父は自殺」と言っているのは誤りで、ここはとーそんの記憶の混濁か、フィクションとして何らかの伏線を狙って敢えて誤っているのかのどちらかではないか? と考えることが出来るでしょう。

ちなみに「自殺」というキーワードで藤村関連で真っ先に思い当たるのは藤村の友人の北村透谷です。
それ以外の主要な藤村周りの人々は殆ど病死ですので、このタイミングで「自殺」というワードが文アルのとーそんから出てくるのはどうにも個人的に気になります。なぜ藤村の「父親が」自殺なんでしょう…?
いずれにしても次回以降の展開が気になります。

では続き。
藤「もう一つあるとすれば、作家は、自分の作風を否定してはいけないと思うんだ。」
秋「作風、或いは世界観の自己否定か。君は一度もしたことがないのか?」
藤「ないよ。僕はね、自分が不幸だという自覚がある。けれどその不幸は、僕という作家がうまれるために、必要不可欠なものだった。ならば家族を、その死を踏み越えて築かれたこの世界観を、否定できるはずなんてないじゃないか」
秋「なあ島崎、君が後援会を作って応援してくれたから、僕はかろうじて作家でいられたんだと今でも思っている」
藤「今になって、感謝とかやめてよ。気持ち悪いから。」
秋「そうじゃない。僕が言いたいのは、君が居なかったら僕は変わってしまっていた。誰もが自分を貫いて、変わらず生きられるわけじゃないんだよ
藤「……」
島崎藤村が「自分が不幸だという自覚がある」と言っている詳細については最早語るまでもなくWikipediaなり一般的な藤村を扱った文学史などでも参照頂くとして、ここでは作風の話について考えてみます。
島崎藤村という作家は、詩→小説への転向箇所以外では、確かに自作のスタイルを一貫して貫いたタイプの人だと思います。
しかし、内容は全く変わっていないというわけではありません。通読して読むと、30代くらいの作品に現れる考え方と、50代くらいで書いた内容とでは大きく変化していることに気づきます。(特に子供関連の記述は38の頃の作『芽生』では「子供なんてどうでもいい」と書いている一方で、50代くらいの作『嵐』『分配』『伸び支度』可愛がってる様子を書いていたりします。それも当時藤村が置かれた環境の違いからなのでしょうが…)
しゅーせーの言う「誰もが自分を貫いて、変わらず生きられるわけない」というのは、実は本家島崎藤村から考えれば、とーそん自身についてすら言える事なのです。それは小説だけを見てもそうですが詩→小説への転向期にも同じことが言えましょう。
ただ、確かに作風そのもの(とめどなく我が身を語る)というスタイル自体は、藤村の場合は変わりません。小説を書き始めた頃は、自身のことをモチーフしない『旧主人』のような作品もありますが、基本的には自身の身近な経験や、会った人々のことをひたすら小説にしていくのが藤村のスタイルです。
故に、芥川の晩年の作を読んだ場合、とーそんがその作風の違いを指摘する、というのは理解はできる、というところでしょうか。

なおこのあととーそんは、あくたがわが侵蝕者に乗っ取られていたことを知って、自身の予想が当たったことに対して俯いたりなどしています。あの心境は一体どんな気持ちなんでしょう。
もしかしたら、上記の変化を覚えているとーそんは、しゅーせーの「誰もが自分を貫いて、変わらず生きられるわけじゃない」という言葉に、何か感じるところがあったのかもしれません。これも次回以降の展開を見ないと何とも言えませんが…

※参考文献
明治書院『島崎藤村事典』伊藤一夫編

〇まとめ
そういったわけで少し長くなりましたが、第8話の文アニ感想兼、島崎クラスタからの見え方、でした。
文アニの史実考証が侮れない、というのは重々承知なので、今後の展開次第では上記の見解も何か別の切り口から描写される可能性があり、個人的にはそこら辺を楽しみにしています。
あとしがさんが本当どうなるんだ…ってもう。

が、何はともあれまずは主要人物であるあくたがわ・だざいがどうなるか…ですよね。
だざい君の『人間失格』の中、どうやら葉造が完全に悪人みたいな様子で登場人物を殺してる(?)みたいになってるので本当続きが気になります。殺人鬼・葉造なんて、太宰クラスタでも予想しえなかった展開なんじゃないでしょうか…?

折角なので『人間失格』の最後の一言を引用して〆にします。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

ありがとうございました。

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