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その時、時計が動いた

日記帳・感想など

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別にどうという事はない日常

物凄く久しぶりに自語りでもしようと思います。

最近、コロナウイルスの蔓延で在宅勤務が続いています。
私は4月7日くらいから在宅に入りまして、引き続き6月末までは少なくとも在宅が続く見通しです。
どうやら勤めている会社がなかなか社会貢献意識が強いらしく、ITでどうにかできるならしたほうがいいよね、みたいな発想で在宅は暫く続くらしいです。
正直、毎日75km前後の長距離通勤をしている身からすると、大変ありがたい限りでして、もう今は遠慮なく在宅勤務を続けております。どうも社内調査によるとこのまま在宅勤務を続けたい人が相当数いるみたいなので、個人的には「引き続き在宅勤務を推奨してくれ会社!」って気持ちでいっぱいです。
なぜなら通勤が辛いから!朝6時に起きるのと8時に起きるのじゃ全然違うんだ。(あまりにも一般的な感想)

で、私はコロナウイルスが蔓延する前の12月から3末くらいまでの間に一つ案件を抱えておりまして、それがコロナの影響を受けつつもまあそれなりに無事に完了しました。
さすがに2月くらいから先方の会社が閉鎖になったときには「マジっすか」みたいな顔してましたし、「未知の新型ウィルスが世界に蔓延して遅延することを想定したスケジュール」なんて立ててるわけないですから、正直地味に焦ったんですけど、12~年明けまでの間に先方が決めるべきことを全部決めてくれたので、運よくかなり順調に進んで、その後も特に問題なく稼働している、という状況を作り出すことができまして。
そんなこんなで個人的には相当ゆるゆるした状態で仕事してたんですが、先日顧客満足度調査をお願いしましたら、返って来た評価が何と100%。

初めて見たよこんな数字、ってことで、やや舞い上がる気分でありつつ、元々、この仕事は一年前に経験したことのちょっと焼き直したバージョンだったので、やや拍子抜け。いいのかこんなので…みたいな気持ちも、若干あります。どうやら数年前に扱った案件で私が若干トチったことを顧客同士が情報共有してたらしくて私の前評判があんまりよくなかったことも少なからず影響してそれを覆した安定的な仕事だったのも評価してるっぽいですが、それも含めてお客さんから良い評価を貰えたのは素直に喜ぶべきことかと。

何でもそうなのかもしれないですけど、ITの世界もどうも「努力した分だけ報われる」とか「一生懸命難しいものを作れば報われる」とか、そういうわけじゃなくて、難しいものほどバグが出やすいし、ほころびも生じやすく、挑戦すればするほど怒られる可能性も増えてしまいます。
だから私はなかなか新しいものに挑戦する、という気持ちがなく、ここ数年停滞したみたいにずっと同じところでゆるゆるしてるんですが…どうにも去年あたりから、「来るところまで来た感」を引きずりながら、それでもまあ安定してるし、いっか、みたいな気分で仕事してることが多いです。
こんなの世の弱肉強食時代に生きてる社会人ガチ勢からしたら「うっわ、こいつこんなに怠けてるの」って思われるかもしれないですけど、正直ここまでThe 安定供給・それなりに生きていられるくらいの収入もある、みたいな状態だと、命をかけて戦う戦場に放り込まれるわけでもないので、今すごい社会人としては弛緩状態です。どのくらいかというと、こんなどうでもいい自語りを書くくらいには。
あと今更ながらこうした状況下で会社に養われている感を思い知ります。良くも悪くも半期契約制だと売り上げを意識しなくても生きてはいける…という…

こんな社会的立場がいつまで続くかはわかりませんが、今はまだこの立場に安住しておこうと思います。
急激な変化や、多忙な時期というのは、自分が望むと望まざると、突然やってくるものです。それこそ、例の新型ウィルスみたいに。
立ち向かうべき時に立ち向かえるように、準備できるときに準備できるものを磨いておくのも悪くはないでしょう。
勿論、戦うべき時にボケて戦えなくなるくらいに頭を休ませ続けてしまっては、良くないかもしれませんが。

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文アルの藤村関連OPの引用を読み解く

文豪とアルケミストがついにアニメになったみたいで。
リリース日からプレイしている身としては非常に感慨深いものがあります。OPのセンスが素晴らしかった。
各動画サイトで、OPがコマ止めしながら見られるようになったので、私も島崎藤村+徳田秋声の一コマ背景の引用文一覧作成に私も挑戦してみました。
確認できる限り右上から行きます。一部しか見えないところも、一節くらいの単位で書き抜き、ご紹介しておきます。
あと個人的にいくつか分からないものもあったのでそれも一緒に最後に書いておきます。

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なかなか単純な気持ちじゃないね
(島崎藤村『田山花袋との最後の對面』)

其の晩も二人は町や海岸を散歩して、帰ってからも遅くまで月光の漂ひ流れてゐる野面を眺めながいうつつら話してゐた。彼は彼女の憂欝な気分を悲しく思ったが、彼は彼女の憂欝な気分を悲しく思ったが、女は自分を如何にして幸福にしょうかと悩んでゐる彼を哀んだ。
(徳田秋声『或売笑婦の女』)

妙に私は手が震えた。
一目に子供の運命が見られるようで可恐しくて、戸が押せなかった。
(島崎藤村『芽生』)

恋は吾身の社にて
君は社の神なれば
君の祭壇の上ならで
なににいのちを捧ささげまし
(若菜集『六人の乙女』おくめ)

この節すこし讀書する暇があつて、いろ/\な好い書物から毎日のやうに新しいことを學ぶ。町々はまだ春先の殘雪のために埋められ、とき/″\恐ろしげな地響きを立てゝ屋根から崩れ落ちる雪の音もするが、この雪に濡れて反つて光を増す槲かしはの葉などの輝くさまは眼もさめるばかり。明るい障子に近くゐて心靜かに讀んで見る書物から受けるさま/″\な感銘の中には、讀者諸君に分けたいと思ふやうなこともすくなくない。
(『桃の雫』より「雪の障子」)

人の世に三智がある
→人の世には三智がある。学んで得る智、人と交わって得る智、自らの体験によって得る智がそれである
(島崎藤村『三智』)

多情も熟すれば美しい。
(徳田秋声『刺繍』)

男は年を取るに従つて、洗練されてくる。しかし女はその反対だと思はれた。
(徳田秋声『風呂桶』)

私は子に甘いと言われることも忘れ、自分が 一人 ( ひとり ) ぼっちになって行くことも忘れて、子供らをよろこばせたかった。
(島崎藤村『分配』)

子の愛に溺おぼれ浸っているこの親しい感覚は自然とおげんの胸に亡くなった旦那のことをも喚起した。妻として尊敬された無事な月日よりも、苦い嫉妬を味わせられた切ない月日の方に、より多く旦那のことを思出すとは。おげんはそんな夫婦の間の不思議な結びつきを考えて悩ましく思った。婆やが来てそこへ寝床を敷いてくれる頃には、深い秋雨の戸の外を通り過ぎる音がした。その晩はおげんは娘と婆やと三人枕を並べて、夜遅くまで寝床の中でも話した。
(島崎藤村『或る女の生涯』)

僕の生涯には暗い影が近づいて來たやうな氣がするね、何となく斯う暗い可畏しい影が
(島崎藤村『伊豆の旅』)

またゝくひまに風吹きて
舞ひ起つ雲をたとふれば
戰に臨むますらをの
あるは鉦うち貝を吹き
あるは太刀佩き剣執り
弓矢を持つに似たりけり
(藤村詩抄「新潮」)

あの母さんの時代も、そんなに遠い過去になった。それもそのはずである。太郎や次郎やもとより、
三郎までもめきめきとおとなびて来て、縞の荒い飛白の筒袖なぞは着せておかれなくなったくらいであるから
(島崎藤村『分配』)

果物は誰方も青いうちに食べるのが、お好きとみえますね。
(徳田秋声『縮図』)

銀子は笑っていたが、その経験がないとは言えず、厠へ入って、独りでそっと憤激の熱い涙を搾し搾りしたものだったが、それには何か自身の心に合点の行く理由がなくてはならぬと考え、すべてを親のためというところへ持って行くよりほかなかった。
(徳田秋声『縮図』)

孤独の寂しさが、心に沁拡がって来た
(徳田秋声『あらくれ』)

今迄の生涯は虚偽いつはりの生涯であつた。自分で自分を欺いて居た。
(島崎藤村『破戒』)

露けき朝の空はて行く
空のながめを誰か知る
露燃ゆるごとき紅の
雲のゆくへを誰か知る
(島崎藤村『若菜集』「鶏」)

力烈しきいかづちの
ふるふがごとくわが魂は
いたくもふるひわなゝきて
思ひなやめる吾胸の
旧き望みは絶えにけり
(島崎藤村『夏草』)

風吹くあした雨の夜半
すこしは世をも知りそめて
むかしのまゝの身ならねど
かゝる思ひは今ぞ知る
(島崎藤村『藤村詩抄』「藪入」)

「こうして見ると、とうさんの肩の幅はずいぶん広いな。」
「そりゃ、そうさ。」と私は言った。
「ここまでしのいで来たのも、この肩だもの。」
「僕らを四人も背負って来たか。」
 次郎は笑った。(島崎藤村『分配』)

馬鹿は死ななきゃ癒らない(徳田秋声『縮図』)

智識は一種の饑渇である(島崎藤村『破戒』)

夕方になってから、津島は大工が張って行った、湯殿の板敷を鍬で叩きこはしてゐた。
(徳田秋声『風呂桶』)

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
(島崎藤村『若菜集』「初恋」)



【読めたが今のところ確認できてない出典】
島崎側からだとちょっと判断がつかないもの色々:

そう思うからいけないんだ
いつ僕がお前を玩具にしたと言うんだ
このくらい愛していれば沢山じゃないか

私たちは気晴らしの玩具だわ
→徳田秋声の『縮図』らしいです。ありがとうございますm(__)m

淵明無一憂
東野幾窮愁
相見還相話
青深両白頭
→陶淵明に関する何かの漢詩っぽいが、ググった程度では見つからない難易度の代物。
 どなたか出典をご存知ならぜひ教えていただきたく。

饒舌――この俺が何と見える
 →文体から判断するに、おそらく、徳田秋声関連の何か?

勿論~…
徳田氏の視点も~…
 →どこかで見た気がする。文字が読めないが、川端→徳田関連だろうか?


読み解いた感想:
藤村に関しては、子供関係の引用が多めです。
『芽生』で三人の子供を失った藤村が、『分配』で自ら稼いだお金を子供に分け与えたり、子煩悩っぷりをアピールするシーンが出てきますが、そういう路線で行くのかもしれません。あの辺は面白いので個人的に楽しみ。

姉・そのさんの最期を描く『或る女の生涯』も盛り込まれていることから、血縁関係からかつてあった愛し子たちを思い出す、みたいな展開になるかもしれないですね。ゲームでは家族関連と恋人関連はばっさり切ってるのでこの引用はちょっと意外でした。

一方で『若菜集』から「初恋」を出典として出してきてることや『若菜集』から詩の出典が多いことなどを踏まえると、詩人藤村としての側面を盛り込んだ展開も想像されます。

まあこの辺は追々アニメが進んでいくとわかるでしょう。
それにしても『破戒』からの出典が「智識は~」とは凄いマニアックですね、私以前、あの箇所を引用した絵を描いたんですがまさか見られてるわけじゃあなかろうな…?(笑)三百ページ超えるところから同じ個所を引用してくるとはなかなか想像してなかったです。でもそれが出て来たのはちょっと嬉しい。

「田山花袋との最期の對面」を盛り込むのは他文豪との関係性重視の文アルっぽさありますね。

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小諸藤村記念館 企画展「父から子に語りかける 藤村童話の世界」簡易レポ

長野県小諸にある藤村記念館。
今年(2019年)のゴールデンウィークに藤村好きが講じて初めて小諸を訪れてからというもの、そこで開催されている藤村文学講座を目当てに何度か私も小諸に訪れる機会がありまして、今回GW以来、企画展が更新されたそうなのでちょっと様子を見てきました。今回は、その簡易レポをしてみようと思います。
今回の企画展は「父から子に語りかける 藤村童話の世界」。藤村の童話を中心として集めた展示で、童話の書誌の他、藤村いろは歌留多や、藤村が子供たちにあてて描いたイラストなども展示されていました。

〇小諸藤村記念館とは
長野県小諸市・懐古園内にある島崎藤村の記念館です。
藤村は、明治32年にこの地に後に妻となる・冬子と共に引っ越してきて、現在の相生町付近に住まいを建てました。
藤村の記念館は、この小諸市と、岐阜県中津川市馬籠にある馬籠藤村記念館の二つがあります。今回ご紹介する小諸市の方は、藤村執筆の『千曲川のスケッチ』で度々出てくる懐古園内の中にあり、藤村の銅像と共に来る人々をもてなしています。
懐古園・藤村記念館は共に有料です。
(懐古園 大人一般・300円 藤村記念館200円)
(※共通券で記念館他、動物園、藤村記念館、小山敬三美術館、徴古館、小諸義塾記念館を巡ることもできます。こちらは大人500円)


▲小諸にある藤村記念館(左建物)。この時期は、紅葉が綺麗です。奥の方にあるのは『椰子の実』の詩碑。

〇企画展 「父から子に語りかける 藤村童話の世界」
島崎藤村は、詩・小説のイメージが強いですが、子供に向けて4本ほど童話を書いています。初版の発行順に『幼きものに』『ふるさと』『をさなものがたり』『力餅』です。このうち、『幼きものに』は70本あまりの小説のうち、11本が海外の作品を元にしたお話で、残りは藤村自身の話だそうです。『ふるさと』は、藤村が9歳までいた故郷・馬籠での体験談。『をさなものがたり』は前二つの作品からの再編集、『力餅』は藤村の生涯全般に渡る話を童話風に仕立て上げたものです。
今回、この企画展で私が注目したのは、藤村の童話と言っても、発行年によって何種類かの表紙があるという点です。今まで、藤村の童話に関する本を何種類か見ておりましたが、最終的にどれが初版本に当たるのか、というのは私は良く知りませんでした。これはどうやら出版社が異なる為に発生しているらしく、発行する出版社によって、挿絵や表紙など装丁の担当も結構変わっています。まとめると以下の通りです。

『幼きものに』
初版 大正6年 実業之日本社
昭和16年 研究社 挿し絵:島崎鶏二
昭和56年 筑摩書房「藤村の童話 1」 表紙、挿し絵:竹久夢二

『ふるさと』
初版 大正9年 実業之日本社 挿絵:竹久夢二
昭和16年 研究社 挿し絵:酒井三良
昭和54年 筑摩書房 「藤村の童話2」 表紙、挿し絵:竹久夢二
平成15年 ネット武蔵野 挿し絵:北島新平

『をさなものがたり』
初版 大正13年 研究社 挿し絵:竹久夢二
昭和16年 研究社「藤村童話叢書第三篇」挿し絵:酒井三良
昭和54年 筑摩書房「藤村の童話3」表紙、挿し絵:竹久夢二

『力餅』
昭和15年 研究社「藤村童話叢書第一篇」挿し絵:島崎鶏二
昭和54年 筑摩書房「藤村の童話4」:表紙、挿し絵:竹久夢二

上記を見ますと、挿絵の担当に関しては、次男鶏二だったり、竹久夢二だったりと、出版社ごとに異なることに気付きます。ちなみに、『をさなものがたり』の研究社版の挿絵担当の酒井三良というのは、福井県出身の画家だそうです。
装丁に関して、上記のうち『力餅』を除く三本はそれぞれ単行本として元になる本がありますが、『力餅』はそれまでの総集として研究社からの発行が最初になるようです。研究社版の装丁は皆一律に水色の表紙のもので、発行される順番も『力餅』→『ふるさと』→『をさなものがたり』→『幼きものに』という順番なんだとか。
家に帰って調べて気づきましたが、このあたりの詳しい書誌は、筑摩書房版『藤村全集』の別巻下の「書誌」の欄に載っていました。
詩集のときにも思いましたが、藤村関連の書誌は結構複雑なんですね;まさかの童話もそうだったという…
ちなみに、企画展ではこの他に、『眼鏡』が童話に含まれるかどうか、という議論があるというのが上げられていました。
『眼鏡』は『春』の焼き直し的作品でありますが、店先で売られていた眼鏡が、旦那に買われて諸国を旅する話が書かれた書き下ろし単行本です。文体こそ、やや少年少女向け(いわゆる少年物語)ですが、この作品を後に藤村が童話として位置づけることはなく、内容と作者の意識の差から、童話に含めるかどうかが考えられているそうです。
ちなみに『眼鏡』は、少年物語を書いてほしい、という出版社の依頼のもとに書かれた作品だそうですが、その依頼を受けた際、藤村は丁度こま子氏との関係があったので童話としがたかった、という趣旨もありましたが、内容が『春』っぽいのはそういう事情もあってのことなのかもしれませんね。

『眼鏡』が童話に含まれるかどうか、という話は、企画展脇にあった本多慶子さんの論にありました。本多慶子さんは、藤村の三男・翁助君の長女。 元福音館書店の編集者で、「ねないこだれだ」で知られるせなけいこ氏をデビューに導いた方なんだそうです。字数が多いですが、こちらも興味深いので是非見て頂きたいポイントの一つです。

小諸市立藤村記念館の企画展「父から子に語りかける 藤村童話の世界」は、2019年12月24日まで開催しています。

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映画感想:人間失格 - 太宰治と3人の女たち

見てまいりました、話題の太宰治映画。
ツイッターのお知り合い3人で見に行ったのですが、まあその内容の濃い事。当日は封切一カ月近いというのに、何と未だに劇場が満席で一回見逃しました。大人気ですね。若い人達もけっこ言いましたし。

てなわけで、あまりにも仕事が暇だったので今回は珍しく感想など書いてみようかと思います。
このカテゴリ文学だけど文学じゃなかった感が凄いですね、更新もほぼ一年ぶり…

あらすじ:売れっ子作家太宰治が、静子と不倫を始めてその日記の内容をもとに『斜陽』『ヴィヨンの妻』を執筆し、肺病に悩まされながらも『人間失格』を執筆、最後富栄と入水自殺するまでを描く。

主要キャスト:
 太宰治:小栗旬
 津島美知子:宮沢りえ
 太田静子 : 沢尻エリカ
 山崎富栄 : 二階堂ふみ

以下、感想の列挙です。ネタバレありますんで注意してね!


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文豪達のカフネ(藤村編)を史実と原作の観点から検証してみた






買ってしまいました、文豪達のカフネ ver.2 園原藤村編

最近島崎藤村を始め自然主義の文士たちの本を少しずつ読んでいたのですが、
島崎藤村にハマりすぎるあまり色々な媒体での島崎藤村を漁っていて、本人の著作・同時代評・研究本やらサイトやら数限りない情報を集積していた結果、ネットで偶々流れて来たこのドラマCDにも行きつきました。

始め見たときの衝撃と言ったら「何だこれは…!?(笑)」でした。
まず題材が『新生』です。
『新生』は大正8年、42歳になった藤村が、姪との近親姦を犯して子供を身籠った彼女を自宅に残して渡仏した件を作品に表し、世間に公表したことで話題になった作品。

日本の自然主義の最大の告白小説として、藤村の作家的態度の真摯さを讃える人がある一方、
モデルとなった彼の姪(島崎こま子氏)が実在していることから批判的な目を向けられた作品でもあります。

発表は大正8年前後で、当時の文壇や社会からも賛否両論を大いに食らった作品ですが、
「それを題材に乙女向けドラマCDを作ろう」という発想にまず驚かされました。
このシリーズ、狂気の末に行きつく愛…というのがテーマらしいのですが、そもそもこの事件を知っている人が果たしてどのくらいいて、そしてどのくらいの人が原作を読んでいるのか。
ビジュアルとドラマCDの要素だけを抽出して、元の『新生』を勘違いしやしないか。
また、このCDを手に取って島崎藤村=新生事件の人、というイメージが蒸し返されるばかりになってしまわないか。

そのあたりがとても気になって、情報が流れて来た直後に気になって思わずポチってしまった次第です。
自分も最近まで島崎藤村は『破戒』を書いた人くらいな認識でしたが、各作品を読み進めていくうちに『新生』にもたどり着き、そして聞いていたよりも『新生』が男の葛藤と女の情念に満ちた作であることに深い感銘を受けました。よくできている作だなあ、とも。
なので『新生』を題材に、と言われて食い付かないわけがありませんでした。
何かまんまと乗せられた!否、私は自ら波に乗った!その姿、愚かしくも自ら地雷を踏みに行く兵士のごとく。

そしてわかってはいたのですが乙女全力な作でした…所謂R-18的な。
何と言っても園原さんが喘ぐ喘ぐ…(スミマセン)これ、いわゆる女性の抜きゲーという奴でしょうか。
ただ、描かれる内容の創作性が高いため、そもそもあまり知られていないであろう『新生』と藤村の史実的な立ち位置に関心を持つ者として
思わず比較プレゼンしたい欲求に駆られてしまいました。

ということで、折角なので島崎藤村原作『新生』と史実などと、本作との違いを比較してみました。
これ、文学カテにしようかどうか悩んだのですが、語ってることが十中八九文学のことなので一応ここに入れておくことにします。

このCDを手に取ったオトメに、これは原作のパロディからさらに創作を用いたフィクションである、という認識を持っていただくと同時に原作の『新生』と新生事件について、少しでも知識を深めていただければ幸いです。

所謂ただのネタにマジレス系のお話であって、同ドラマCDの制作サークル様への誹謗・抽象等、他意はございません。

※以下、ネタバレ注意。ネタバレしかございません。
※本作の内容にはR-18要素が含まれます。18歳未満は…そもそも本作に手を出さないはず、と信じます←


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岩尾葵
年齢:
32
性別:
女性
誕生日:
1991/09/29
職業:
保守運用SE
趣味:
アニメ鑑賞、ペーパークラフト、パソコン、読書
自己紹介:
文学・アニメ・映画そのほか、長話がしたくなった時に利用します。
漫画、小説、ラノベその他とにかく本の感想は本棚のブログパーツの「ブクログ」の方に書いてます。作品の好みはそちらを見るのが早いです。

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