どうも、私です。生きてます。
地震について、いつもの日記より簡潔ですが、今何か長く書けるような気分じゃないので、ツイッターの呟きから転載しときます。
三時頃、地震が起きて北鴻巣で立ち往生をくらった。高崎線が止まり、バスもタクシーも使えなかった。帰るのは困難になったので、とりあえず母にメールを送って、出来れば迎えに来てほしいと頼んだ。携帯の電池が切れそうだったので電源は切った。それからひたすら駅で迎えを待った。
七時頃、電車の終日運休が決まった。自力で地元に帰るのは不可能に。駅の機能が停止し、警察が駅に来て、緊急避難先に小学校を解放するからそこに移動して欲しい、と言ってきた。動くのは危険かと思ったが、道が混んでいて母が迎えに来るのはまだ先だと思われたので、一度小学校に移動することにした。
駅から小学校までは400mほど。徒歩の移動だったが近くて助かった。中に入ると、建物の中は真っ暗だった。ストーブはあったが既に人だかりができていて近寄れそうにない。椅子がいくつも並んで置かれていたので、そこに座って駅の自販機買っておいたコーンポタージュとコーヒーで暖をとった。
建物に明かりが来るまでそれから少しかかった。八時頃、救助隊の人が市役所から発電機を持ってきてくれた。水道も電気もガスも止まっている中で、明かりが来たのは心強かった。それから毛布も貰えず、ほの暗い小学校の体育館で待つこと三十分。さらに救助隊の人が市役所からビスケットを持ってきた。
とりあえず小学校に着いた時点で、私はそこで一夜を過ごすことを家族に連絡しておいた。いちいち連絡取ってると携帯が切れそうだったから。だからビスケットが来た時、これでとりあえず明日の朝まで過ごさないとな、と思った。寒いしほの暗いし、周りには話せる人もいないが風が凌げればマシと思った。
配給されたビスケットを食べていると、はっきり何と言っているのかわからない苗字が呼ばれるのが聞こえた。もしや、と思って建物の出口に行ってみると、果してそこで私の苗字が呼ばれていた。私は思わずはいはい!と救助の人に名乗り出た。今夜は泊ると連絡をしたのに、母が迎えに来てくれていた。
もう本当に、今までにこれほど感謝したことがあっただろうかと思うほどに、私は母に絶大なる感謝の意を示した。正直、あの暗い中で、あの寒い中で、毛布一枚なく、寝る場所もなく、椅子の上だけで一夜を過ごすのは肉体的にも精神的にも物凄い負担だった。母が迎えに来てくれて本当によかった。
10時頃、家に帰ってみると、ありがたいことにうちの地域は水道もガスも電気も正常に稼働していた。信号も光る、コンビニも開店してる、家の中でも電気が灯る、ストーブも着く、暖かい。お湯を沸かしてカップラーメンも食べられる。ありがたかった、本当に。
明かりと暖は実に人の心にとって重要なのだと思い知った一日だった。テレビで避難所の様子を見たときに、毛布と明かりがあるからまだ頑張れるよ!と思うようになった。
こういう事態に見舞われるといろいろとどうすればいいのか分からなくなりますね。何か生きてるだけで感謝です。家があるだけで感謝です。
まだ余震が続きそうですが、皆さんも十分お気をつけて!
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