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文学の知識と味わい

最近、文学に対しての考えを深めるきっかけに出会ったので、個人的にメモしてみようと思う。

文学を知識としてとらえた場合、それは著作を味わうこととは対極に位置するとなりえる、という点についてのアレコレ。
これが最近3日くらい私の考えていたことである。私自身の身を振り返り、改めてこのことに気づかされた。(長くなったので畳む)

【考えるに至った経緯】
近年文豪ジャンルがメジャーになったことで、知識の共有の名目のもと、文学に関するあらゆる情報がTwitter上で流れてくる。この盛り上がり方に関して、一部で注意を促す声などもあったり、同人ジャンルとの切り分け、既存の文豪作品との切り分け、等々…各人がその在り方を模索している。
そうした動きの中で、一部に知識の共有はすれど、作品は全く読まない、という人に出くわす場面があった。当然そういう人もいつか現れるだろうとは思っていたのだが、こういった人たちを見て、私の中で文学史と文学作品の関係性について改めて考えてみたいという欲求がむくむくと湧き上がってきた。なぜならば、彼らが楽しんでいるのは、著作そのものではなく、文学から派生した「文豪というジャンル」、「文壇史」と呼ばれるものであることに気づいたからだ。こういった人たちがあらわれ得る、ということは、文アルというゲームは、文学の推奨ゲームというよりも、文壇史の推奨のゲーム、なのか?とも思ったのだが、文アルの場合、要素要素で文学を包含的に考えていたように思った。例えばボイスに著作の一部を引用してくるあたりがその要素の一つである。ただの文壇推しであれば、人間の関連に重点を置くのみであろうし、このように手の込んだことはしないだろう。文学史と文壇と著作に同時に手が出せるよう裾野を広く構えているゲーム、そんな印象があり、「文学とは?文壇とは?作家とは?作品の関係ってなんだ?」と次々に疑問がわいてきたのだった。

【文学を構成する要素】

私が考えるに、文学と文学に関する要素は、以下のような階層になっている。

文学史
 -時代
  -文壇
   -作家
    ー著作
     -著作の表現

それぞれの要素については、もはや説明不要かと思う。一番下の階層にある「著作の表現」というのは、版や底本にかかわって異なる、作品の表現方法のことだ。
こうした模式図は、上位階層がいわば概念、下位階層がいわゆる具体に位置する。下位を見れば見るほど細かく些末になっていく。
ちなみに文学史の上には、おそらくさらに「歴史」というカテゴリーが存在するのだろうが、正直歴史に関しては裾野が広すぎて、そもそも文学史の位置づけが歴史の下でいいのか、それは文化の下になるのか、今いち判然としないのであえて割愛しておく。とにかく「歴史」という、文字にするとたった二文字には、人類が遭遇してきた事象のすべて、恐ろしいほどの意味づけが可能だ。およそこの世の中に歴史というものでまとめられないものはないのではないかと思うほどに、この言葉の厚みと重さはケタ違いである。
物事の整理に階層性を持たせていくと、より「文学」という括りの下に、実に多くの要素が存在していることがわかる。

【文学知識とは何ぞや】
このような話を始めると、歴史ほどでないにせよ、文学というジャンルでも同じことが起こりうる、とわかる。
すなわち「一言に”文学知識”といっても、一体どの階層を指して言っているのだろう」ということである。
例えば、作家の細々とした私生活を知っている人が、多くの文学知識を得ている、と言えるであろうか。そもそも作家の私生活は、作品自体に影響は及ぼしてはいるかもしれないが作品そのものではない。作家の私生活を知る、というのは、歴史上に存在した一人の作家という「人間に対する知識」であろう。だからどちらかというと、私はそれらは文学に対する知識というよりも、作家に対する知識であり、狭義としての「文学」には当てはまりえない。では逆に、論文レベルでの文学表現の検証・その些末な違いを覚えていることが文学の知識かといわれると、それもまた違うような気がする。
なので、ここでは一般的に想像される「文学に対する知識」というのは、これらを包括した、”何も知らない人に説明して理解されるレベルの分かりやすい内容”、と定義しておく。具体的は、誰かが誰かを批判した、誰かが誰かを高評したという内容を思い浮かべるとわかりやすい。


【知識と味わい】
上記を踏まえたうえで、改めて以下、以前呟いた自分のツイートを転記しておく。


そういえば文アルやって文学が再熱してみて「知識として知ってる」というのと「作品として味わったことがある」というのには大きな隔たりがあると感じました。そして作品を味わったことなく知識を語ることが空虚である、ということも。文学は個々のストーリーであることに意味があるわけで。
それを歴史という俯瞰の分野から見ると、どうしても個別作品や時代の比較から入らざるを得なくなり、文学作品という個を見失いかねないと思う。知ることを純水な悪にしたい訳じゃなくて、作品を「味わう」ことに主眼を置いた話って、なぜかこの界隈でもあんま見かけないなって。
すごい簡単に言うと
・「知識として知っている」→作品名とか粗筋は知ってるが実際に作品を読んだことはないし、著作に感動するとかいう体験とか特になかった
・「作品として味わったことがある」→実際に読んだことがある。それに対して何かしらの感想を抱いた
勿論全ての作品を読むのは難しいが結局文学作品の本質って「その人の言葉を頂く」事なので、誰かから伝え聞いた時点で、元とはちょっと違う形での受容になる。「誰かから伝え聞いてさらに伝え聞いたもののまとめを読んだ」とかでも“知ってる”ことにはなるが、それは“味わった”とはちと違うものになるよな、と思う。



私が、知識のみでは文学の本質にはたどり着きえない、と感じたのはまさに上記の通りで、対極的歴史的視点からの言説は、あくまで作品を知りえたうえで成立するものであって、前提となる作品を読まずして大きな括りのみからしか作品を見ようとしない場合、その魅力と真のニュアンスを直に知りうることはありえない、と思う。
知識から語ろうとすれば、どうあっても内容を簡略化し、手を加える必要に駆られ、著者の語る味わいをそぎ落とさなければならないし、一方で味わいを優先するならば知識として語るために最も有効な手段は引用であると言わざるを得ない(=自分の言葉で新たに語り直すことをあきらめざるを得ない)。
こうして考えてみたところ、先に定義した「一般的に通じる著作のレベルの文学知識」という点に絞ってみると、著作(=作家にとっての仕事)を知りえない限りはその真の意味は分かりかねると感じる。
勿論、一人の作家に関しての言説に、読み切れないほどの多くの作品が絡む以上、そのすべてを読み把握しきるのはかなり難易度が高い。それこそ作家と同じレベルの読書人生を歩まねば到底かなわぬことだが、そういった場合、その中に出てくる作品の一作でもいいから手を付けるとだいぶ理解が進むかと思う。

【余談】
①この理屈で言うと、歴史を知識の上から語る上では実物を経験しないとならないのか、という論に発展しそうだがそれはジャンルの異なる二点を比較しているので、この話には当てはまらない。そもそも文学史と、一般的な人類史(あえて区別してそう呼ぶ)は、その考察の対象が「文字の上に成立した虚構を考察するもの」なのか、「実際にあった(≒あったといわれている)ことを考察するものなのか」という点が大きく異なる。
歴史の場合は現実に合ったものを素人が触れるのはかなり難しいが、文学作品の場合は素人が触れられる範囲に評の根源たる”作品”があるのだから、「なぜそうなったのか?」を考えるにはやはりその作品に直に触れるのが最も早い手段であると考える。

②ここ数カ月、島崎藤村を読んでいるが、彼の場合はつくづく「著作を味わう場合に適切な順番がある」というのを思い知る。何も知らないところから彼の評を読んでも目が字の上をすべる程度の浅い理解しかできないのだが、一通り著作を読んだうえで評や発言を見るとだいぶ理解が深化する。…著作を読むことに厭いはない自分も、学生時代明治文学も雑多に読んでいたが、この読書経験は自分としては真新しい発見であった。

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文学・アニメ・映画そのほか、長話がしたくなった時に利用します。
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